第3回 研究者の就職事情

兵庫県立大学のシミュレーション学研究科。左手には理化学研究所の京コンピュータが、右手奥には甲南大学がある。ここは神戸市の人工島・ポートアイランドにある、大学や研究機関の密集した場所なのだ。兵庫県立大学には、「シミュレーションを使っておもしろいことをしてやろう」 という人材が集まっていた。

 僕は、自分にときたま訪れるチャンスを積極的につかまえるように生きている。研究に対する使命感は強いし、ライフワークとして取り組みたいテーマはしっかり持ってるんだけど、それを実現する場所や自分の肩書きに固定された理想像みたいなものはなく、偶然あらわれた機会に飛びつくことが多い気がしている。自分としては、刻々と変化する状況下で臨機応変さと未来に向けての嗅覚を発揮して自分の環境を開拓することもサバイバル能力であり、エクスプローラー感覚であると思っている。

 これまで書いてきたように、僕は大学からアメリカに留学し、博士を取るまでずっとアメリカで学んでいた。これはすばらしい経験で、多くの知識を身に着け、研究の成果を挙げることができた。このままレールに乗って、アメリカのアカデミックポジション(大学や公的研究機関の教員や研究員のこと)に就くのが素直な選択だったのかもしれない。まわりの人たちからもそうするよう勧められたけど、僕は日本に帰りたいと熱望するようになっていた。

 長く海外で暮らしていると、逆に僕は日本のことを考えるようになっていた。日本のいいところもわるいところも客観的に分かってきた。そして、これからの人生を日本の自然と文化と人びとに囲まれて暮らすことで、公的には科学や社会のため意義のある研究ができたり、私的にはおもしろい発見や成長があったりするんじゃないかと漠然と思うようになった。そう思ったのは35歳。納得して死ぬための生き方を模索していたのかもしれない。

 さてそうなると、日本で仕事を探さねばならない。その際、ひとつ問題がある。僕は日本の大学に通ったことがないため、母校や恩師というものが存在しないのである。日本の研究者の知り合いもほとんどいない。こんな状況では、日本の求人情報はあまり入ってこない。

 ちなみに、知り合いから情報を得るというのは、日本でもアメリカでもアカデミックポジションに就くための重要な手段である。一般企業の求人と違い、アカデミックポジションの求人は、欠員が生じたとき・新しいプロジェクトがはじまったときなど、散発的に、ごく少人数の募集があるにすぎないからである。その数少ない情報に精通する者が就活を制する、といっても良いかもしれない(※1)。

 ところで、学会に参加するというのは研究者の重要な業務である。自分の研究を発表することで科学の進歩に貢献することになるし、研究についての質問やアドバイスを受けることで次の研究のヒントになるし、ほかの研究者の発表を聞いて刺激を受け、新たな着想につながったりするからだ。というわけで僕は、学生時代から毎年、Ecological Society of America(アメリカ生態学会)の会合に出席することにしていた。


※1 もちろん情報を得たとしても、それだけで採用が保証されるわけではない。ほかの応募者とおなじまな板に載せられて、業績・能力・適性・やる気などで審査されることになる。