延縄の作業中。手前に写っているのがナイジェル。
延縄の作業中。手前に写っているのがナイジェル。
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 そしていよいよ、釣りの開始だ。ニシオンデンザメを捕獲するために、大きな釣針のひとつひとつにエサをつけ、幹縄につないで海に投入していく。延縄と呼ばれるシンプルな漁法である。ちなみにエサはセイウチの脂肪だった。

 船には短期雇用の船員として、地元クライドリバー在住のイヌイットの男性が3人乗り込んでいた。甲板でセイウチの脂肪を切り刻みながら、あるいは船内で一休みしながら、私は彼らといろんな話をした。彼らは母語イヌイット語の他に、かなりちゃんとした(つまり私より上手な)英語をしゃべった。

イヌイットのイルーク。とてもお茶目なおじいさんだった。
イヌイットのイルーク。とてもお茶目なおじいさんだった。
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 いちばん仲良くなったのはビリーだ。ビリーは私よりいくらか年上の(でも子供が既に5人いるという!)、とても優しい人柄で、誰かのちょっとしたジョークにも大口を開けてガハハと笑った。コーラが何より大好きで、「これさえ飲めれば人生いうことなし」とでも言うように、本当にうまそうに飲んだ。ビリーは歳のわりに老けて見えたが、それは前歯のほとんどが欠けてしまっているからだった。前歯を失った理由を訊くと、「コーラの飲み過ぎで抜かれちゃったんだ」とガハハと笑った。どうやらクライドリバーには正式な歯医者はおらず、相当荒っぽい治療が行われているらしかった。

イヌイットのビリー
イヌイットのビリー
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 ビリーは若い頃はアザラシやトナカイの狩猟をよくしたものだが、最近はとんとしなくなったと言う。クライドリバーで定職に就くのは難しいので、工事現場などの短期雇用の仕事を渡り歩いている。今回の調査船の仕事は1日200ドルの収入になるので、とてもラッキーだと笑っていた。航海が終わったら、貯まったお金で家族のために、ポンコツの洗濯機を買い換えるつもりらしい。「都会に行ったことはあるの?」と私が訊くと、今までの人生で一度だけ、オタワの街に行ったことがあるとのこと。その時に立ち寄ったマクドナルドの味が忘れられないらしく、「ビッグマック・イズ・ザ・ベスト!」と顔をくしゃくしゃにして、ガハハと笑った。

 さて、そんなふうにおしゃべりをしているうちに、延縄を引き上げる時間がやってきた。海に浮かんだフロートを引き上げ、それに続く幹縄を、機械でどんどん巻き上げていく。水深600mまで伸びている幹縄を巻き上げるのには、20分以上の時間がかかる。まだかな、とそわそわしていると、大きな黒い影がゆっくりと水中から引き上げられてくるのが見えた。ニシオンデンザメだ。

フルマカモメ。(協力:ニコンイメージングジャパン)
フルマカモメ。(協力:ニコンイメージングジャパン)
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つづく

渡辺 佑基(わたなべ・ゆうき)

1978年、岐阜県生まれ。国立極地研究所生物圏研究グループ助教。農学博士。バイオロギングを用いて主に海洋動物の生態を研究している。2010年には南極観測隊に参加し、ペンギンに取り付けたカメラでの撮影に成功。研究論文が米国科学アカデミー紀要に掲載された。2011年、学術分野全般で優れた実績を積み上げた人に贈られる山崎賞を受賞。2014年、『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』(河出ブックス)で第68回毎日出版文化賞の自然科学部門を受賞。

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