第9回 ニシオンデンザメと優しいイヌイット

「あちらに到着したら、君はきっとショックを受けるよ」

 オタワ空港の近くにある洒落たステーキ・バーで、ビールのグラスを傾けながらナイジェルは言った。明日の早朝の便で私たちは、カナダ北極圏の町、クライドリバー(Clyde River)に飛ぶ。北極の海に住む不思議な深海ザメ、ニシオンデンザメの調査をするためだ。

「ショックを受ける!?」

 私はサーロイン・ステーキをナイフで切りながら、信じられないという顔をした。なるほど私にとって、カナダの北極圏は人生初めての場所だ。けれども私は――自慢でもなんでもないけれど――孤立した観測基地に滞在した経験は豊富にあり、僻地には慣れている。それにノルウェーの北極圏の島、スバールバル諸島にも行ったことがあるから、だいたい北極の雰囲気は想像できる。ショックを受けるようなことは、何もないはずだ。

「まあ、明日になればわかるよ」

 ナイジェルはニヤリと笑ってビールを飲み干すと、ウェイターを呼び、もう一杯同じビールを注文した。私も自分のビールを一口飲んでから、明日向かう「クライドリバー」について少し想像を巡らしてみたが、基礎知識がなさ過ぎて、何も浮かんでこなかった。

イヌイット文字の電光掲示板
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 翌朝、私とナイジェル、そしてナイジェルの学生であるアマンダの3人は、清潔でモダンなオタワ空港からFirst Airという航空会社の便に乗り込んで、まずはイカルイト(Iqaluit)という経由地の街まで飛んだ。イカルイトはカナダの東北部に位置する巨大な島、バフィン島における最大の街である。

 空港に降り立った途端、私はびっくりして目を剥いた。イカルイトの空港は狭くて薄暗く、待合室は日本人と似た顔つきの、でも黒く日焼けをして背の低い人たちでいっぱいだった。そして案内板やポスターに書かれている、見たことのない文字! フライトの電光掲示板さえも、謎の文字と英語とを交互に表記していた。目のギョロっとした、子どもくらいの背丈の中年男性がニヤニヤ笑いながら近づいてきて、アクセサリーを買わないかと強引に勧めてくる。そう、バフィン島はカナダであってカナダではない、イヌイットの土地だった。

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