じつは「休息潜水」はこれまでに数種類のアザラシで報告されており、まったく新しい発見というわけではない。たとえば前述のキタゾウアザラシも太平洋の旅行中に「休息潜水」をすることが知られている。いっぽうでキタゾウアザラシは「水面滞在」はめったにしない。

 そこで従来は次のように考えられていた。キタゾウアザラシはできることならば、水面でゆっくりと休みたい。けれども太平洋にはホホジロザメという恐ろしい天敵がいるので、水面にぷかぷか浮かんだままでいるのは危険すぎる。そこで次善の策として、「休息潜水」という奇抜な休み方をするようになったのだと。

 ひるがえってバイカルアザラシの暮らすバイカル湖は、ホホジロザメのような危険な天敵はおらず、天下泰平そのものである。だからバイカルアザラシが時折水面で休むことは、道理にかなっている。

こう見えて、潜行能力はとても高い。(撮影:渡辺佑基)
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 けれども面白いことに、バイカルアザラシは「休息潜水」もする。ということは、アザラシにとって「休息潜水」は決して次善の策ではなく、天敵のいない安全な場所でもする価値の十分ある、休みやすいスタイルだということである。水中をリラックスした姿勢で重力に任せてふらふらと沈んでいくのは、水面に浮いているよりも、ずっと快適なのだろう。

 ちなみにアザラシにとっては、水面に浮かぶことも、水中を沈んでいくことも、どちらもたやすいことである。息を吸って肺に空気を貯めれば、体はぷかぷかと水面に浮くし、潜れば水圧によって肺の空気が圧縮されるので、自然と浮力はマイナスになり、体が沈むようになる。

 いずれにせよアザラシという動物は、体の隅々までが潜水というただ1つの行動のために特殊化している。彼らにとっては潜水が日常そのものであり、だから上陸する場所がなければ、そのまま潜水を続けながら休むことさえできる。本研究で明らかになったのは、アザラシという哺乳類の水中適応のすごさであった。

 自分で言うのもなんだが、よい研究成果である。いまさらだけど、もっと早く論文にすればよかった……。

つづく

渡辺 佑基(わたなべ・ゆうき)

1978年、岐阜県生まれ。国立極地研究所生物圏研究グループ助教。農学博士。バイオロギングを用いて主に海洋動物の生態を研究している。2010年には南極観測隊に参加し、ペンギンに取り付けたカメラでの撮影に成功。研究論文が米国科学アカデミー紀要に掲載された。2011年、学術分野全般で優れた実績を積み上げた人に贈られる山崎賞を受賞。2014年、『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』(河出ブックス)で第68回毎日出版文化賞の自然科学部門を受賞。

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