新たに発見された古代マヤの水の神殿の空撮写真

 ベリーズの静かな森にたたずむ深い泉に、古代マヤの人々に“干ばつカルト”が広がっていたことを示す遺跡が眠っていた。マヤの人々は、文明国家が滅びないようにと雨の神に供物と祈りを捧げたようだ。

 今回、考古学者のグループがベリーズのカラ・ブランカで発見したのは、水の神殿の遺跡だ。小さな広場があり、朽ちた小屋と小さな2つの建造物の名残がみられる。中心となる建造物は、人々がマヤの雨の神や地下界の悪魔に供物を捧げたとみられる深い泉の淵にひっそりと建っている。

ベリーズのカラ・ブランカにある泉を探索した結果、干ばつ期に神への供物が増えていたことがわかった(Photograph by Tony Rath Photography)

 遺跡からは、古代マヤ文明の崩壊期に干ばつに見舞われた人々の信仰が見てとれる。ピラミッドを築いたマヤ文明は、長きにわたり中央アメリカの広範囲で繁栄したが、西暦800年以降、ほとんどの都市国家が崩壊した。

 カラ・ブランカの白い岩壁の下で、祈りを捧げに訪れた人々は壺や瓶、器などを神殿の泉深くに沈めた。供物には近辺で作られたものと遠くから運ばれたものがあり、この遺跡に広く一帯から人々がやって来て雨乞いをしたことを示している。

神聖な意味をもつ場所

「祈りを捧げる人々がここへ来て身を清め、神に供物を捧げていました」今回の発見をした研究チームのリーダーでイリノイ大学の考古学者、リサ・ルチェロ氏は言う。ルチェロ氏は、セノーテと呼ばれる天然の泉の深さを4年かけて測定し、セノーテの底に長い間発見されずにあった陶器や石の道具を発見した。「ここは、神聖な意味をもつ特別な場所だったのです」

 しかし、人々が常に足繁くこの神殿を訪れていたわけではなかった。とりわけマヤ文明初期の供物が少なかったことは、裏を返せば、泉に住むとされた雨の神チャクの怒りが鎮まるように、ある時点から人々が強く望むようになったことを示しているのかもしれない。近く「Cambridge Archaeological Journal」誌に発表されるこの発見に関する報告で、ルチェロ氏とカリフォルニア州モアパーク・カレッジの考古学者アンドリュー・キンケラ氏は、広範囲の干ばつが古代マヤを襲った後に神殿への供物が増えたと指摘している。

カラ・ブランカ遺跡の泉に沈んだ木の間を探索するダイバー。マヤの人々は神への祈りを込めて壺や瓶、器を捧げた。(Photograph by Tony Rath Photography)

干ばつカルト

 だが供物もむなしく、雨の神チャクと地下界の悪魔は古代マヤ文明を滅亡させた――雨を降らせてから、干ばつをもたらして。ペンシルバニア州立大学の人類学者ダグラス・ケネット氏の研究チームは、洞窟にできた石筍(せきじゅん)を分析し、大量の降雨によりマヤの人口が急激に増え、西暦660年まで続いたことが推定されると報告している。雨が降らなくなると、古代の王国は滅びた。

 度重なる干ばつにより王の失脚が続き、西暦800年頃から中央アメリカ全体でマヤ文明の都市国家は崩壊し始めた。また干ばつによって、チャクの怒りを鎮めようとする人々の間で“干ばつカルト”に火がつき、突如滅亡の危機にさらされた古代マヤのあちこちで、洞窟やセノーテに多数の供物が捧げられた。

洞窟とセノーテは地下界への入り口

「マヤの人々にとって、洞窟とセノーテはどちらも地下界への入り口でした」カリフォルニア大学マーセド校の考古学者、ホーリー・モイーズ氏は述べる。洞窟や今回の神殿の調査から、人々が雨の神により多くの供物を捧げなくてはと感じていた“激動の時代”を示唆するものだ。

 モイーズ氏の研究チームは、ナショナルジオグラフィック協会の助成を受け、マヤの大規模な都市国家があったベリーズのカラコルの近くにあるラス・クエバスの遺跡を調査したところ、遺跡の中でも最大級のピラミッドの下に、大きな洞窟の穴が開いていた。洞窟の巨大な入り口にはセノーテと地下を流れる川があり、そこで儀式が行われていたと考えられる。

放射性炭素年代測定をおこなうため、カラ・ブランカの泉の底に沈んだ木からサンプルを採取する研究者。(Photograph by Tony Rath Photography)

水と結びついた地下世界

 一方で、干ばつに見舞われていないときもマヤの人々は洞窟や水源に供物を奉納していた米ミネソタ大学の考古学者ブレント・ウッドフィル氏は考えている。同氏によると、マヤの人々は洞窟の石や岩などを持ち出して運び、球技場や神殿、儀式に使う建造物に用いて、神聖なものにしようとしたようだ。

 カラ・ブランカの水の神殿の一部がセノーテの石灰岩(トゥファ)でできていることも、これで説明できるかもしれない。建設中、神殿の床にはいちど捧げられた陶器の破片や化石化した歯、動物の爪なども敷き詰められた。陶器の中では小さな水壷が特に多く、波線や渦巻き模様など、水のモチーフが描かれているものもみられた。マヤの神話では水との関わりが深い、ジャガーを描いた壺もあった。

かつてマヤの人々が雨乞いの儀式に使った泉を泳ぐシクリッドの群れ。(Photograph by Tony Rath Photography)

 研究の結果、これら供物の多くは、都市の大部分が滅びていったマヤ文明の終焉期に作られたものだという。

「泉やセノーテから岩や化石を拾い、実際に神殿を造るのに用いた例が確認されたのは初めてで、非常に興味深いです。マヤの人々の世界観において、洞窟と泉には密接なつながりがあったことがうかがえます」とウッドフィル氏は語る。

 モイーズ氏によると、干ばつカルトが使った他の洞窟にも、同じように供物の陶器の破片が供えられているという。チャクが宿る洞窟の奥深くに人をいけにえとして捧げる風習が始まったのもこの時期かもしれない。

文=Dan Vergano/訳=キーツマン智香