悲鳴を聞いて、犬たちに目を凝らすと、アンが引きずられていた。
耳が聞こえないために、マッシャーの指示が聞こえず、出だしが遅れてしまったのだ。
と言うよりも、本来マッシャーの指示を聞いているのは、リーダー犬だけで、後続の犬たちはリーダーの動きに従っている。
だから、耳が聞こえないことなど、本当はさほど問題ではない。
責任があるのは、むしろ私の方だ。
走ったあとの休憩時など、犬たちは肉球の間についてしまう雪玉を、夢中になって前歯でカリカリと器用に取っている。
喉の渇きを癒すために、雪にかぶりついて、雪のなかに転がっている者もいる。
だから出発前には、犬たちがまっすぐに並んでいることを確認しなければならないし、注意散漫になっている犬たちの意識を1つに集めておく必要もあるのだ。
それを私は、怠ってしまった故に、アンが引きずられているのだ。
私はとっさに、「ウオー(止まれ)」と指示を出して、フットブレーキを踏み込んだ。
犬たちは、何事かと後ろを振り返りながらスピードを落とす。
すると、ひっくり返っていたアンが立ち上がった。
そして、何ごともなかったような顔をして、前の犬たちに続いて走りだした。
「よし! アン、その調子」
私は橇を止めることなく、そのまま加速した。
しばらくすると、先行しているトーニャの橇が止まった。
この先にある急な崖を降りて行くには、今の頭数ではパワーがあり過ぎると言うのだ。
橇を、車で言うところの低速ギアにするには、単純に今の頭数を減らさなければならない。
その場合、犬を橇から完全に放してしまうことになるのだが、犬によっては、逃げてしまったり、ここぞとばかりに喜んで、どこかへ遊びに行ってしまったりする可能性もある。
けれど私は、犬たちを信じて、リーダー犬のルーニーとアン、それに、低速でも橇を引く力を維持できる体の大きいオスたちを2匹残して、その他の犬たちをラインから放した。
アンを放さなかったのは、放したあとに、「カム!(来なさい)」と言っても聞こえず、こちらからつかまえに行かなければならないからだ。
無論、突然自由になった犬たちは喜んで走り回って、先に崖を下りて行ってしまった。
私は、その犬たちを心配することをやめて、目の前にある崖に集中した。
橇で下りる前に、落差を確かめるために、まずは自分で下りてみる。
高低差は5メートルほど。
下には、凍った川があって、その川を斜めに横断して、また崖を登らなければならない。