第119話 低速ギアでも、手に汗握る落差

 私は橇の上で立っているのも必死なくらいなのに、犬たちは走り続けてくれている。

「申し訳ないなあ……、犬たちを休ませなきゃ……」

 意識がぼんやりとしながら、そう思ったとき、遠くにぽつんと黄色い明かりが見えた。

 ずいぶんと前を先行するトーニャが振り返って、私に大きな声で叫んだ。

「あそこが、トムとペリーのトラッピングキャビンよ」

 やっとついた!

 キャビン横の道を、橇が滑り込んでいく。

 ペニーさんがエスキモーの民族衣装を着て出迎えてくれた。

 橇が止まるなり、犬たちもハアハアと荒い息を吐きながら座り込んだ。

 早朝から、深夜過ぎまでという長時間走行だった。

 きっと犬たちも腹ペコで疲れているだろう。

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 私たちはすぐにも、持ってきたムース肉のかたまりを斧で砕き、ペニーさんが用意しておいてくれた湯にドッグフードとその肉を入れて犬たちに与えた。

 人間はどんなに疲れていようと、走ってくれた犬たちが常に優先。犬たちが主役だ。

 キャビンの中に入ると、トムさんが物静かに、罠で捕まえたテンの毛皮を、小さなナイフで剥いでいた。

 キャビンの中は暖かい。防寒服を脱ぎ捨て、Tシャツ1枚になっても十分なくらいだった。

 ペニーさんが焼いたムース肉のローストを頂いて、食後に温かいホットチョコレートを飲むと、私は一気に睡魔に襲われた。

 ベッドに横になりながら、ペニーさんと話しをしていたけれど、となりでトーニャがすぐにも寝息をかきはじめ、私も眠りに落ちていった。

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 ところが、しばらくすると、私を叩き起こさんばかりの、あの声が聞こえてきた。

 ぎゃゃゃおぉぉ~ん、ぉん。

 ぎゃゃゃおぉぉ~ん、ぉん。

 ん、ぎゃ~ん。

 アンの夜鳴きがはじまったのである……。

つづく

廣川まさき

廣川まさき(ひろかわ まさき)

ノンフィクションライター。1972年富山県生まれ。岐阜女子大学卒。2003年、アラスカ・ユーコン川約1500キロを単独カヌーで下り、その旅を記録した著書『ウーマンアローン』で2004年第2回開高健ノンフィクション賞を受賞。近著は『私の名はナルヴァルック』(集英社)。Webナショジオでのこれまでの連載は「今日も牧場にすったもんだの風が吹く」公式サイトhttp://web.hirokawamasaki.com/