第2回 北西の季節風が吹く長崎北西海岸を漕ぐ

 三日目は軍艦島に立ち寄ってみたいところだったが、風が相変わらず強く沖から強いうねりが発生していたので、私たちはなるべく海岸から沖に出ずに北上した。長崎港は大型の客船や貨物船が頻繁に往来する人工的な難所である。大型船の速度は見た目よりはるかに速く、カヤックのような小型の船が巻きこまれたら木端微塵となることは確実だ。二隻の大型船が目の前の海を通り過ぎ、大きなうねりが何度も押し寄せた。私たちはしばらく船が来なさそうなことを確認し、一気に長崎港の航路を横断した。

 四日目はほとんど一日中、北からの向かい風となり、今度の旅で一番ハードな行程となった。風が強いといっても漕げないというほどの強さではなく、何とか漕ぎ進める程度の風だったので、私たちは結局一日中漕ぐことになった。午後になると潮が引きはじめ、向かい風に逆潮が重なり、パドルは泥のなかを漕いでいるかのように重くなった。前を進む山口君との距離はどんどん開き、私は彼についていくことが全然できなかった。

 しかし、悪条件のなかで黙々とパドルを漕いでいるうちに、身体の動きが掴めたと思える瞬間もあった。パドリングは簡単なように見えるが、単純な動作なだけに奥が深い。へたくそでも前には進むが、速度が出ないし、すぐに疲労してしまう。だから長期間漕ぐには腕だけではなく身体全体を使った漕ぎ方を覚える必要がある。大瀬さんのツアーに参加したときから下半身の動きと腕の動きを連動させるようにと助言されていたものの、言われてすぐに体得できるほど簡単ではない。

 しかしこの日の午後、向かい風のなかをしゃにむに漕いでいたときに、自分の身体がひとつのバネになったように感じられる瞬間があったのだ。それまでばらばらだった手足の動きで一体となって連動し、足を踏みこんだときの力が腰の回転を通じてダイレクトに腕に伝わっているのがわかった。たしかにカヤックは腕に持ったパドルで海を漕ぐことで前進するのだが、しかし身体全体の感覚からいうと自転車を漕いでいるときに近いのだ、と私は思った。

「山口君、俺の身体は今、ひとつのバネになったよ」

 強風のなかで私はそう嘯くと、彼は冗談だと思ったのか笑っていた。

 その後、低気圧が接近してくることがわかったため、目的地だった五島列島への島渡りはあきらめ、日本で一番島の密度が濃いといわれる九十九島の海を北上した。九十九島の海は想像していたよりもはるかに透明度が高く、穏やかで、島の間や入り江には海に敷き詰めるように真珠の養殖筏が浮かんでいた。私たちは小さな島々を一つ一つ見分するかのように、くねくねと曲がりながら島の間を遊覧し、1月14日の午後に鹿町海洋スポーツ基地というカヤックの施設に上陸して旅を終えた。

 もともと冬の極夜探検のデポの荷物を運ぶという目的ではじめたシーカヤックだったが、今では単純に北極圏の海を漕いでみたいと思うようになっている。その理由としては、海を漕ぐという行為の楽しさと奥深さに気づきはじめたこともあるし、海という陸とは異なるダイナミズムで動く自然環境に身体を置くことで地球の別の側面を見る面白さを知ったということもある。それにカヤックを使うことで、これまで自分が知らなかった北極圏のイヌイット文化の素顔を見ることができるのではないかという期待感も膨らんできた。そもそもカヤックとはイヌイット語、つまり彼らが考え出した船なのだ。

 グリーンランドはカヤックの故郷でもある。私が訪れる北西部のイヌイットたちは今でも夏のシーズンになると、木の枠にアザラシの皮を張り合わせた自作のカヤックで海に漕ぎだし、昔ながらに鯨狩りをおこなうという。生活に根付いたカヤックとは一体どんなものなのか。デポ旅行以外にも、できれば北西グリーンランドを広く漕ぎ、カヤック文化のルーツを垣間見てみたいという気持ちが次第に強くなってきている。

角幡 唯介(かくはた ゆうすけ)

1976年生まれ。2002年~2003年に、長らく謎の川とされてきたツアンポー川の未踏査部5マイルを単独で探検、2009年~10年にも単独で踏査し、その全容を解明した。2015年に、北極の極夜(1日中夜が続く)の中、GPSを使わず六分儀を使った方法で、北極圏を1200~1300キロを単独で踏破する探検に挑む。著書『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞、『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、第42回大宅壮一ノンフィクション賞、『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞など受賞多数。著書はほかに『探検家、36歳の憂鬱』(文藝春秋)など。