裸氷帯の向こうについにヌナタークが見えてきた。

 ノボラザレフスカヤ基地から離れるにつれ、遮るものがなくなっていった。空は真っ青で雲一つない。一見すると風が強いようには見えないが、氷床上には凍てつく強風が吹き続けていた。顔を覆っているフリース地のフェイスマスクは私自身の息ですっかり凍りついてパリパリになっていた。

 先頭を行くデイルも、スノーモービルを停めるたびに右手をプルプル揺らしたり、グーパーを繰り返していた。いくつものクレバス帯を迂回し、あとどれくらいで着くのだろう、このまま青白い世界が永遠に続くんじゃなかろうか・・・指と手が完全に限界を超え、強風に吹かれながら、私はすっかり意気消沈気味になっていた。もはや、今年ベスト1の大声を出した7時間半前が遠い昔の出来事で、若気の至りだったとさえ思えてきた。そんな頃、視界の先、白い地平線の向こうに、山が見えてきた。

「陸地だ!!」

と咄嗟に思ったのは、嬉しさでちょっと気が動転していたからに違いない。もちろん私はずっと陸地を走ってきたわけで、向こうに見えたのは “ヌナターク”=内陸の大陸氷床から高く突き出た峰々だ。そして、何を隠そう、それが私たちの目指すアンターセー湖を抱くグルーバー山地(正式なその辺りの山岳地帯の名前は“Otto-von-Gruber山地”)だった。

はるか昔から生命を閉じ込めてきた露岩地帯

 私はこのヌナタークに、生物の調査をしにきた。
 南極大陸の大半を占める氷床地帯では、基本、生物は生きていけない。生命が息づいているのは岩が露出した一部の地域だけだ。ヌナタークはそうした露岩地帯の一つである。

 このヌナタークがさらに貴重なのは、今から6万年前も岩が露出していたこと。
 昭和基地やノボラザレフスカヤ基地がある南極大陸の沿岸部にも露岩地帯はあるが、この地域の氷床が後退して剥き出しになったのは、最終氷期の終わりごろ、今から1~2万年前のことだ。一方、このヌナタークは、今より氷表面の標高が約1000メートル高かった最終氷期の間も、ずっと氷に覆われることなく陸地が孤島のように取り残されていたのである。

 その前の氷期はどうだったのかは明らかになっていないが、地形から考えるにその前の氷期にも山々は氷床から突き出ていたと考えるのが妥当だろう、という話だ。とにかく、大陸沿岸よりもヌナタークのほうが、ずっと古くから岩が露出してきたわけだ。

 つまり、はるか昔からヌナタークは、周囲を氷床という物理的に大きな障壁に取り囲まれ、極端に分断・隔離された環境にずっと置かれてきた。そうなると、移動能力の低い生き物は周囲へ分散・拡大することがとても困難になり、その場にとどまって環境に適応し、独自に進化していく道を歩むことになる。しかも、環境が特に過酷な南極大陸だからその淘汰圧はより強いものとなりうるだろう。

 こういうヌナタークの状況のことを、“レフュージア” =“退避地”(生物が絶滅するような環境下で、局所的に生き残った場所)と呼ぶこともある。地球上で一番隔離され、厳しい環境に置かれているこのレフュージアで、そこに暮らしている生物とその生き方について調べることによって、原始地球の生態系を知る手がかりを得てやろうじゃないか、というのが今回の最大の目的だ。

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