先住民が重宝した、クランベリーの歴史

 1814年、レッドリバー植民地(カナダ・マニトバ州)のマイルズ・マクドネル知事は、食料不足を理由に「ペミカン宣言」を発令し、ペミカンの輸出を禁じた。毛皮交易を行っていたハドソン湾会社の従業員のために貴重な食料を残しておきたいというのが輸出禁止の意図だったが、これがペミカンで儲けていた先住民メティ族からの反発を招くことになる。緊張は徐々に高まり、ついに1816年、セブン・オークスの戦いが勃発。数と射撃の腕で勝るメティ族が勝利を収めた。

スウェーデンでクランベリー・ジャムを作る女性(Photograph by Volkmar Wentzel/National Geographic Creative)

甘みをまとって人気上昇

 マサチューセッツにやって来た初期の入植者たちは、そのあまりの酸味の強さに、クランベリーをそれほど重視していなかった。しかし17世紀以降、入植者たちがハチミツや砂糖にありつけるようになると、「ビターベリー」と呼ばれたクランベリーは、一転しておいしい食材へと姿を変える。

 その後、数々のクランベリーレシピが作られた。アメリカ最初の料理本と言われる1796年刊のアメリア・シモンズ著『American Cookery』には、クランベリータルトのレシピが載せられている。これには、ベリーを「とろ火で煮込んで、漉して、甘く」したあとに、パイ生地に乗せて「軽く焼く」と書かれている。また、ローストターキーの付け合わせとして、クランベリーソースを勧める記述も見られる。

 19世紀初頭には、クランベリーはあちこちで見られるようになった。ボストンに住んでいたウィリアム・テューダー(氷販売で富を築いた)は、「いちばん普遍的な料理」というテーマで「クランベリーソース」というエッセイを書いている。「ベリーにほぼ同量の砂糖を加え、とろ火で1時間ゆで、冷ましてから提供する。どんな種類のロースト肉にも合うが、特に白肉、ターキー、ヤマウズラに合う。ゆで魚と食べる者もいる。あるお偉方で、ロブスターと一緒に食べる人も知っている」