File8 食べる喜び 中川明紀
最終回 小さい頃から大好きだった祖母の手づくりコンニャク 前編
そもそもコンニャクとはサトイモ科の多年草であり、私たちは「芋」と呼ばれる球茎を加工して食べている。春先に植えた芋はコンニャクをつくるのに適した1kgほどの大きさになるまで3年かかるが、「毎年、霜が降りる前に全部掘り起こして小さい芋は貯蔵し、また春にその芋を植え直すんだよ」と祖母が言った。寒さに弱いため冬季に土の中に放ったままにしておくとだめになってしまうそうだ。
急に寒くなったからと祖母はすでにすべての芋を掘り起こしていた。思ったより元気で安心した。掘り起こしたコンニャク芋はムシロの中に貯蔵されていた。手の平サイズの芋がゴロゴロと転がっている。「これがキゴだよ」と特に小さいいくつかの芋を拾って祖母が言う。「キゴって何?」と尋ねる私。
「芋から出た新しい茎のことだよ。芋からキゴをもぎ取って保存し、春に植えると成長して新しいコンニャク芋になるんだよ。」生まれる子、と書いて「キゴ」と読む。つまりはコンニャク芋の赤ちゃんで、生子が1年で5~10倍の大きさになり、2年目にはさらに5~8倍に成長して、3年目で1kgほどになるという。コンニャク芋はそうやって昔から繰り返し栽培されてきた。
「私が小さい頃はコンニャク芋の畑が一番大きかったのよ」と一緒に群馬に来た母が言った。聞けば、私が生まれるずっと前はコンニャク芋が主な出荷物だったらしい。ずっと蚕と花の農家だと思っていたので、まったくの初耳だ。
「昔は周りもみんなコンニャク芋農家。収穫した芋を輪切りにして乾燥させて工場に売る。今はわからないけれど、工場ではそうやって集めた芋を粉砕して製品にしていたのよ。だから冬になると家族総出で出荷の準備。乾燥させた芋を糸で縛る手伝いをしてお小遣いをもらっていたのよね」
祖父母はコンニャク芋をつくって4人の子どもを育て上げた。何の気なしに食べていたコンニャクにはそんな歴史があったのだ。
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