「それには時間がかかるからね……テクニカルなことは、撮りながら学ぶしかない」
ぼくはそれを聞いて、当然ジムも、ギャラリーに飾ることができるような質の写真がないことは、十分承知しているのがわかりました。
それでもジムは、フィルムをルーペで覗きながら話を続けました。
「でも、大切なことは、何を見ようとしているか……その心なんだよ。ほら、これなんかも、とっても美しい……」
それは、雨の日に撮った、岩のすき間から10センチぐらい伸びていた草の写真でした。
近づいてみると、数枚の葉から、いまにも滴りおちそうな水滴がぶらさがっていたので、岩の上に思い切ってねっころがって、さらに近くから観察してみたのです。
すると、雫の1粒1粒に、まわりの世界がさかさまに映されていたのが面白くて、何枚もシャッターを切ったのでした。
しかし、出来上がってきた写真には、ぼくがそのときに感じたほどの感動は写っていませんでした。
けれど、ジムはどうやら、ぼくがなにを撮ろうとしていたのか、その姿勢を感じ取ってくれているようでした。
「こうして並べると、君がなにを見つけようとしていたのかが分かる。花や動物ばかりに目がいきがちだけどね。水滴や雲、森のシルエット。さまざまな色にも反応している。わたしはそんな君の視線がとても好きだ。だから、いい目を持っていると言ったんだ。それには自信を持っていい」
そんなふうにして、ジムはぼくの写真を見ても、否定的なことは一切口にしませんでした。
構図をこうしたらいいとか、露出がどうとか、そういう技術的なことも、まったく指摘されませんでした。
でも、自分の視線を褒められたからと言って、ぼくはそれほど素直に喜ぶこともできません。
あくまで鑑賞に堪えうる作品になっていないことは、変えることのできない事実なのですから。
でも、あのジム・ブランデンバーグに「いい目をしている」と言ってもらえたことは、とてもありがたいことでした。
少なくとも、いま向かっている方向は間違いではないのだと感じることができ、大きな心の支えになりました。
そうしているうちに、ジムは、シルスイキツツキの写真のなかに、アカリスが混じっているのを見つけて、驚きの声をあげました。