第110話 覚悟なさい、これも定めよ。

 罠を仕掛けるとき、私たちは人間のニオイを残さないように細心の注意を払った。

 オオカミの罠は、1晩かけてスプルースの枝葉とともに煮込み、森の匂いを付着させた。

 作業服や軍手などにも同じ作業をした。

 森を歩くときも、なるべく同じ足跡を辿り、人工的なインパクトを残さないようにもした。

 それでもオオカミたちは、微妙な異変に気付いたのだろう。

 なんてオオカミは……、勘が鋭く、用心深く、賢く、手強い相手なのだろう……。

 私は、そう感心しはじめるのと同時に、これが森に生きる者たちの真剣勝負なのだとしたら、その勝負事に、私は勝ちたいと思うようになっていた。

 もはや、私には、
「かかっていませんように」という気持ちはまったくなくなっていた。

 ふらふら揺れる優柔不断さも断ち切るように、私の目はギラリと光り、オオカミに負けない鋭さを放つようになっていたに違いない。

 スティーブは言った。

「まだ分からないよ。獲物はそう簡単に捕れないからね。彼らが次の獲物が取れずに空腹に耐えかねたら、必ずこの残骸をあさりに来るさ。じっくりと待とう」

 私もトーニャも頷いた。

 狩猟は、待つことが仕事のようなものだ。

 私は、なにやらフツフツと沸きあがるようなものを感じた。

 まるで、体中の1つ1つの細胞に眠っている、人間がまだ自然から食べ物を得て、獣の皮を身にまとっていた頃の、遠い、遠い遺伝子の記憶が目覚めたようなものを――。

 オオカミたちよ、覚悟なさい。

 これも森に生きる、定めよ……。

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つづく

廣川まさき

廣川まさき(ひろかわ まさき)

ノンフィクションライター。1972年富山県生まれ。岐阜女子大学卒。2003年、アラスカ・ユーコン川約1500キロを単独カヌーで下り、その旅を記録した著書『ウーマンアローン』で2004年第2回開高健ノンフィクション賞を受賞。近著は『私の名はナルヴァルック』(集英社)。Webナショジオでのこれまでの連載は「今日も牧場にすったもんだの風が吹く」公式サイトhttp://web.hirokawamasaki.com/