「江戸時代、庶民はせいぜい1日に一度しか米を炊きません。都市部などでは薪を買うにもお金がかかりますしね。だから、それ以外は冷や飯を食べます。いまのように電子レンジもありませんから、まずこれがかたい。おかずもメザシやタクアンなどが多く、全体的にかたいものを食べていたんです。これが上流階級になると毎食米を炊くし、おかずも焼いた魚の切り身などやわらかいものを食べていた。咀嚼する力がさほど必要ありませんから、顎が発達せず、華奢で細長い顔になったと考えられます」

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 かたいものを食べていた縄文人は顎がしっかりしていた。咀嚼の力が違うだけでそこまではっきりと骨格が変わってしまうものなのか。しかも、江戸時代のこの現象は“美の概念”にも影響をおよぼしたという。2007年に馬場さんが国立科学博物館の坂上和弘研究主幹と一緒に行った、東京・上野の寛永寺にある徳川将軍家の墓の遺骨の学術調査は、それをよく表していた。

 江戸時代前期は、将軍の正室はたいてい顔が細長く顎が小さかったが、側室は顎がしっかりした庶民顔だった。正室は皇族や公家から輿入れをしているが、側室には庶民出身の大奥女官から選ばれていたからだ。しかし、これが江戸時代後期になると正室も側室もみな細長い顔をしているのだという。

「京都から輿入れした正室の顔が細長いことから、美女の顔はそういうものだという概念が世の中に浸透したのです。さらに、平安時代以降、北方アジア人的な一重で細い目が良いとされる伝統が続いていました。浮世絵に描かれた瓜実顔で目の細い“美女”はその象徴でしょう。そうやって生まれた紋切り型の美の概念のもとで、野心を持った連中が将軍の側室にするために面長な女性を大奥へと送り込んだと考えられます」

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