File5 食べ物と日本人の進化 馬場悠男

第2回 食べ物で顔はこんなに変わる

「北方アジア人は凍った肉を食べたし、獣の皮で服を作るために噛んで皮をなめしたりもしていました。そもそも、人類がシベリアで暮らせるようになったのは、約3万5000年前に縫い針が発明されて気密性が高い衣服が作れるようになったからです。その技術を持ってシベリアに移り住んだ人々が、獲物を獲り過ぎてしまったなどの理由で約6000年前に南下を始めたのです」

 彼らは約1万年前に長江流域で始まったとされる稲作文化を吸収し、約2800年前に日本列島に渡った。そして、九州北部や本州西部に築いたのが弥生文化なのである。縄文人と弥生人は異なる民族だった。では縄文人はどこへ行ってしまったのか。

「縄文人は当時、10万人はいただろうと言われています。それ以上の弥生人が一度に渡来したとは考えられず、少数の弥生人がしばらく縄文人と住み分けをしていました。ただ、弥生人は稲作技術を持っていたぶん安定した食料を得られたので、人口増加率が縄文人より高かった。弥生時代も約1200年ありますから、渡来人口が少しずつ増え、なおかつ人口増加率も高かったことで、どこかの時点で縄文人と人口が逆転したのです」

 縄文人が台地に住むのに対し、弥生人は稲作に適した低湿地帯に住むことを好んだ。そうやって居住地も離れていたが、弥生人の人口が増えて生活範囲が広がるにしたがって、縄文人と交わるようになっていったのだと馬場さんは話す。つまり、私たちは縄文人と弥生人のハイブリッドということだ。現在の本土日本人の遺伝子を調べると、渡来系弥生人の遺伝子が7~8割、縄文人の遺伝子は2~3割だという。

「いっぽう、稲作が普及しなかった北海道の先住民・アイヌは縄文人の特徴を留めています。彫りが深くて目が大きく、髭が濃い。ヨーロッパの人類学者は30年くらい前まで、アイヌはヨーロッパ系だと言っていたくらいです」