File5 食べ物と日本人の進化 馬場悠男

第1回 農耕以前から私たちは炭水化物をたくさん食べていた

 北海道で稲作が行われるようになったのは近代に入ってからだ。北海道に籾が持ち込まれたのは江戸時代中期とされ、本格的な稲作に成功したのは明治初期。沖縄においても、稲作の痕跡が確認されているのは8世紀頃が最古である。いずれにせよ、農耕技術が伝わることで食べ物の種類に米が加わっただけで、栄養源という点では縄文も弥生も同じだったのである。

「骨を見ればその人の年齢はもちろん、怪我や病気の有無もわかります。縄文人と弥生人の差はもちろん、それぞれの地域においても寿命や健康状態に大きな違いはありませんでした。食べるものの構成が変わったからといって病気が増えるなどということはなかったでしょう」

 こうした状況は、縄文時代から第二次世界大戦後まで基本的には大きくは変わっていないと馬場さんは言う。つまり、北海道以外はずっと炭水化物を多く摂ってきても健康状態に差はなかったのだから、人類が炭水化物の摂取に適応していないということはないし、いまさら糖質制限をして農耕文化以前の食事に戻せば健康になるという考え方も間違っていることになる。

 ただし、縄文人と弥生人で大きく異なる特徴もあった。弥生人と比べて縄文の人々の歯は激しく磨り減っていたのだ。縄文人の歯を見ると、どの地域でも、老人になると歯の歯冠(エナメル質の部分)が磨り減っていてほとんど残っていない。彼らは歯を使い尽くした頃に寿命も尽きるような生活を送っていた。これは野生の動物では普遍的な現象で、文明が発達する以前の人類も同様だった。

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