File5 食べ物と日本人の進化 馬場悠男
第1回 農耕以前から私たちは炭水化物をたくさん食べていた
これについては東京大学教授の米田穣さんたちが、人骨に含まれる炭素と窒素の安定同位体比から、縄文人がどのような食物からタンパク質を摂っていたか(タンパク質依存率)を遺跡ごとに割り出している。たとえば、北海道の遺跡ではオットセイやイルカなど海獣類や魚介類へのタンパク質依存率が極めて高いので、植物に含まれるタンパク質の割合が動物に比べて遙かに低いことを考慮しても、タンパク質だけでなく摂取カロリーも動物の肉に多くを依存していたことがわかる。それ以外の地域では、動物へのタンパク質依存が半分以下なので、摂取カロリーに関しては植物への依存率が圧倒的に高く、肉への依存率は低かった。一般にはイモや堅果類に大きく依存し、それに加えて、内陸部ではシカやイノシシなどの陸獣、海岸部では魚介類を食べていたらしい。つまり、北海道以外は決して動物性食品が中心ではなかった。
縄文人の食事は想像以上にバラエティに富んでいた。そして、この食生活の構成は弥生時代に入っても変わっていないと馬場さんは言う。なんと、弥生時代といえば大陸から稲作が伝わり、米ばかりを食べるような生活に変化していったのだと思っていたが……。
「一般的には、そう思っている人たちが多いようですね。炭水化物源の多くがイモや堅果類から米になったのは確かです。だからといって、魚介や肉を食べなくなったわけではなく、地域で得られるものを中心にした食生活を送っていたのは縄文時代と同じです。しかも、稲作をしていたのは本土だけで、北海道は寒冷で米が作れなかったし、沖縄を含む南西諸島では珊瑚礁の魚介が豊富で、また低湿地の平野が少なかったため、稲作が普及しませんでした。これらも米田さんたちの研究で判明していることです」
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