File5 食べ物と日本人の進化 馬場悠男
第1回 農耕以前から私たちは炭水化物をたくさん食べていた
「縄文人の食事は動物性タンパク質ばかりではありません。炭水化物もたくさん食べていました」
馬場さんの話は、農耕が始まるずっと前から炭水化物を多く摂取していたという、意外な言葉から始まった。縄文時代といえば、あちこちで貝塚が発見されていることもあって、海で貝や魚を獲り、山で動物を追って生活をしていたイメージが大きいが、炭水化物は何から得ていたのだろうか。
「炭水化物源としてイモ類は昔からいわれていますが、近年はクリやドングリ、トチの実などの堅果類もよく食べていたことがわかっています。イモよりも長期の保存が可能なので、秋にたくさん採集して冬に備えたのでしょう。ドングリを貯蔵していた穴の遺跡がいくつも発見されていますし、約5500年前~4000年前の集落跡である青森県の三内丸山遺跡ではクリを栽培していました」
ドングリはブナ科の木になる実の総称で、炭水化物が豊富で栄養価が高い。クリやトチも同じだ。ドングリやトチはエグ味が強くてそのままでは食べられないが、「砕いてアクを抜き、パンやクッキーにして食べていたし、土器もあることからすでに煮炊きが始まっていて、シチューを作ったりもしていたことでしょう」と馬場さんは言う。江戸時代、飢饉の際にトチで餅を作って非常食にしたという話はよく聞くが、実は米よりずっと昔から食べられているものだったのだ。
いっぽう動物性タンパク質は身近にとれるものを食べていたらしい。海洋の動物は貝や魚といった魚介類からアザラシ・オットセイなどの海獣類まで、陸上動物であればシカ・イノシシなどを捕まえて食料とした。そのほか、山菜やキノコも食べたし、縄文人はその時々に手に入る山海の資源を上手に利用して暮らしていたそうだ。
「魚や獣がいつも獲れるとは限りませんから、動物性タンパク質だけで生活をするのは難しかったでしょう。また、人骨の成分から同じ縄文人でも生活している地域によって食べているものがずいぶん違っていたことがわかっています」
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