第3回 睡眠時間の長さを決めるのは遺伝か環境か

 ここで賢明な読者はお気づきであろうが、成人の遺伝率0.30~0.50という数値は、言い換えれば睡眠時間の個人差の少なくとも半分は環境要因で説明可能であることを意味している。しかも乳幼児で推定された0.6~0.7という高い遺伝率に比較して成人では0.3~0.5と目減りしている。どうやら年齢を経るにしたがって遺伝的な影響の度合いが薄まり、相対的に環境の影響が強まるようだ。

 遺伝子配列は変わらないのに、なぜ遺伝的影響度が変化するのか? 乳幼児は心身(遺伝子)が求めるままに眠るのに対して、成人後は“大人の事情”で恣意的に睡眠時間を操作することが多いため、見かけ上の遺伝的影響度が低下するのも理由の1つと考えられる。これは遺伝研究について回る悩みである。表現型を正確に把握すること(測定精度)は遺伝研究の生命線であるが、例えばうつ状態や不安、幻覚・妄想などの精神現象は定量化や定性化が難しいためになかなか遺伝研究が進まず苦労している。

 また、環境要因が遺伝子機能(配列ではない)を後天的に変えてしまう場合もある(エピジェネティクな変化と呼ばれる)。例えば、ある種の環境ストレスが睡眠時間(より正確には必要睡眠量)に関わるたんぱく質を合成する機能(転写)に後天的変化を与えることで、睡眠時間を永続的に変えてしまう可能性もあるのだ。遺伝研究では従来、遺伝子配列の個人差に着目して疾病研究が進められてきたが、最近ではエピジェネティクな解析に重点が移りつつある。睡眠研究も同様の道を歩んでいる。