File4 日本の飢餓 阿部彩

第1回 日本に広がる新たな飢餓

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「最近ではあまり話題になりませんが、ネットカフェ難民が解消されたわけではありません。24時間営業のファストフードショップで夜を過ごし、仕事に出かける若年世代のワーキングホームレスも少なくありません」と阿部さんはいう。

 なぜ、そのような貧困がこれまで「見えていなかった」のだろう。

先述したように、相対的貧困が表立っては見えにくいことがひとつの理由だが「見ようとしてこなかった」という社会意識も背景として大きいと阿部さんは指摘する。

かつての高度経済成長期のち「一億総中流」といわれた70年代があり、そして「飽食の時代」といわれた80年代があった。

「富める国、豊かな日本で、今日の食べる物にも困る貧困者は、ホームレスのような一部の人に過ぎないと、多くの日本人は思っています。この国では、働いてさえいれば、誰でも食べていくことくらいはできると」

 しかし、そうではなかった。

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日本で「見えない貧困」が如実に見えたのは2008年の年末年始、東京の日比谷公園に開設された「年越し派遣村」だった。リーマンショックによる世界的不況で、日本では派遣労働者の大規模な解雇・雇い止めが発生した。

 それらの人々を救うために開設された「年越し派遣村」をきっかけに浮上してきたのは、働きながらも限界ギリギリの生活を送るワーキングプアの存在。しかも、それは若年層のみならず、中高年世帯にも広がっていたのである。

「それまで日本政府は、海外の先進国ですでに公的基準となっていた相対的貧困率を公表していませんでした。初めて公表したのが2009年。その後、1985年まで遡って貧困率が算出、公表されました」

 そうして、ようやく明らかになってきたのだ。富める国、日本が実はワーキングプア大国であるということが。

さらに、子どもに目を向けると「その様相は一段と深刻なものとなってくる」と阿部さん。「貧困によるインパクトは、誰にでも大きいが、とくに子どもの場合、貧困は自身で克服しようのない問題」であるからだという。

つづく

高橋盛男

(撮影:藤谷清美)

聞き手・文=高橋盛男(たかはし もりお)

1957年、新潟県生まれ。フリーランスライター。自動車専門誌の編集を手がけたのちフリーライターに。JR東日本新幹線車内誌「トランヴェール」、プレジデント社「プレジデント」「プレジデントファミリー」などに執筆。