ハビブは当時20代半ばでThe Pointに勤める前は、政府に閉鎖された新聞社にいた記者です。彼は、私をその新聞社跡に連れて行き「新聞社をつくりたい」と言いました。「ガンビアでは500ドル(約5万円)あれば新聞社を設立できる。たとえ1日でつぶされてもいいから、書きたいことを全部書く」と言うんです。

ガンビア政府により発行禁止になり閉鎖された「The Independent」紙のオフィスの前に立つ、ハビブ・シセイ(撮影:林典子)

 ジャスティスは30代の記者で、社内ではデスク格。彼は、自国では公表できない記事を、アメリカのオンライン新聞に送っていました。ガンビアでは、バレれば命にかかわる行為です。彼は、得体の知れない者からの脅迫も受けていました。
「自分はどうなってもかまわない。ただ、ガンビアから独立系のメディアがなくなってしまうことだけは絶対に避けたい」と彼は言うのです。彼はパソコンが苦手で入力が遅いので、私は彼の手書きの記事をテキストに打ち込む手伝いをよくしました。アメリカへ送る記事がメールに添付できないと、インターネットカフェに呼び出されたこともありました。

――撮影や取材の基礎的な手法は、The Pointで身につけたのですか。

 いえいえ、私は記者の後について回っていただけ。写真も当時のものなど、とても人に見せられません。ただ被写体が「写っている」というだけの代物。私もその程度でいいと思っていましたから。ただ、後になって振り返って、あれはこういうことだったのかと、改めて理解した事柄は多かったですね。

 2度目にガンビアに行った帰り、内戦直後のリベリアにも立ち寄ったのですが、フォトジャーナリストを志したのはいつかとなると、ガンビアから帰国したころからといえます。

――では、林典子さんの取材方法について詳しく聞いていきましょう。

(つづく)

リベリアの首都モンロビアでの取材中に出会った、地元ボーイスカウトの男の子たち(2007年)(撮影:林典子)

林典子(はやし のりこ)

1983年生まれ。大学在学中に、西アフリカ・ガンビアの地元新聞社、ザ・ポイント紙で写真を撮りはじめる。「ニュースにならない人々の物語」を国内外で取材。ナショナル ジオグラフィック日本版で、2012年9月号「失われたロマの町」、2013年7月号「キルギス 誘拐婚の現実」を発表。キルギスの誘拐結婚の写真は世界的に広く注目され、フランスの報道写真祭の特集部門で最高賞、全米報道写真家協会フォトジャーナリズム大賞の現代社会問題組写真部門で1位を受賞。その他、米ワシントン・ポスト紙、独デア・シュピーゲル誌、仏ル・モンド紙、デイズ・ジャパン誌、米ニューズウィーク、マリ・クレール誌(英国版、ロシア版)など、数々のメディアで作品を発表。著書に「フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳 ―― いま、この世界の片隅で」(岩波新書)。


高橋盛男(たかはし もりお)

1957年、新潟県生まれ。フリーランスライター。自動車専門誌の編集を手がけたのちフリーライターに。JR東日本新幹線車内誌「トランヴェール」、プレジデント社「プレジデント」「プレジデントファミリー」などに執筆。

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