実際のところ、マグロの平均時速7キロといえば、水中では決して遅くはない。水は空気に比べて800倍も密度が高いので、水中では空中の800倍も多くの抵抗がのしかかる。しかも抵抗は速度の2乗に比例して上昇するので、速度が少し上がるだけで、抵抗はぐんと急上昇する。もしも海の動物が本当に時速100キロを達成しようとすれば、巨大な水の抵抗に逆らうために、とんでもなく高出力の「エンジン」(筋肉や心臓を中心としたエネルギー発生機構)が必要になる。もちろんマシンではない生身の動物はそんなものを持ち合わせていない。

世界最大の魚であるジンベエザメでさえ、遊泳スピードはわずかに時速3キロ。

 だから陸上で生活する私たちの感覚で「なんだマグロも大したことないね」などとうそぶけば、それはマグロに対して失礼にあたる。水中と陸上とでは、そもそも世界が違うのである。

 ではどうして、そんな単純なことがいままでわからなかったのだろう。

 海の動物たちは陸上の動物(たとえばシカやタヌキ)と違って観察することができないため、行動を調べることがひどく難しい。たとえば「マグロ時速80キロ」の情報源を辿っていくと、1960年代にボートの上でマグロを釣り上げ、ギュルギュルとリールの糸が巻き出されていく速度からマグロの速度をエイヤと推定していたことがわかる。当時はそれで精いっぱいだったのはよくわかるが、そのようなラフな方法では、海の動物の自然な行動を精度よく測ることはできない。

 1980年代に入り、動物の体に直接センサーを取り付けるバイオロギングと呼ばれる研究手法が考案され、1990年代、2000年代を通じて発展し、広く普及した。先に挙げたカジキやマグロやシャチの遊泳スピードの計測値(すべて平均時速8キロ以下)はこの手法によるものだし、かくいう私もバイオロギングを主要な武器とする海洋生物学者のひとりである。最新のデジタル技術を駆使した計測手法の登場により、ようやく海の動物たちの本当の姿が見えてきたといえる。

 マグロの速度はほんの一例である。ほかにもいままでの常識にかからない、アッと驚くような動物たちの真実は次々と明らかになっている。46日間で地球を一周するアホウドリ、2000mも潜るアザラシ、10時間も息をとめるウミガメ――。なぜ、そんなことができるのだろう。なぜ、そんなことをする必要があるのだろう。すごく言いたいけれど、あまりしゃべると本のネタバレになってしまうので、今回はこのへんで。

太平洋のど真ん中の島で調査したツマグロというサメ。(『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』より

(文・写真=渡辺佑基)

渡辺佑基

渡辺佑基(わたなべ・ゆうき)

1978年、岐阜県生まれ。国立極地研究所生物圏研究グループ助教。世界の極地を飛び回り、データロガーを駆使して主に極域に生息する大型捕食動物の生理生態および種間比較を研究している。2011年「動物の泳ぐ速さを決めるサイズ効果を発見」(J. Anim. Ecol. 80, 57-68 (2011))が『Nature』の「News&Views」に紹介された。同年、学術分野全般で優れた実績を積み上げた人に贈られる山崎賞を受賞。

田邊優貴子

田邊優貴子(たなべ・ゆきこ)

1978年、青森市生まれ。2006年京都大学大学院博士課程退学後、2008年総合研究大学院大学博士課程修了。現在は、早稲田大学 高等研究所・助教。植物生理生態学者。博士(理学)。
小学生の頃から極北の地に憧れを抱き、大学4年生のときには真冬のアラスカ・ブルックス山脈麓のエスキモーの村で過ごした。それ以後もアラスカを訪れ、「人工の光合成システム」の研究者から、極地をフィールドにする研究者に転身する。
2007~2008年に第49次日本南極地域観測隊、2009~2010年に第51次隊に、2011~2012年に第53次隊に参加。2010年夏、2013年夏に北極・スバールバル諸島で野外調査を行うなど、極地を舞台に生態系の研究をしている。
ポプラビーチでエッセイ「すてきな 地球の果て」連載中
http://www.poplarbeech.com/chikyunohate/005708.html

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