第2回 物理学者を「救った」CERN計画

「フェルミラボでやっていたのは、陽子やニュートリノの実験でして、そのあと、1981年に日本のTRISTAN(トリスタン)っていう加速器に惹かれて、原子核研究所の後身ともいえる高エネルギー加速器研究機構(KEK)に就職して、日本に戻りました。クォークの中では最後まで見つかっていなかったトップクォークを発見するのが、ひとつの大きな目的だったんですが、30ギガ電子ボルトでは足りなくて残念ながら果たせなかったんですね。トリスタンがエネルギーフロンティアだった時期は短くて3年か4年。結局、フェルミラボのテバトロンという加速器でトップクォークが見つかりました」

 また、この時期、CERNにも全周27キロメートルのLEP(大型電子・陽電子衝突型加速器)という加速器ができてそれぞれ50ギガ電子ボルトのエネルギーを持った電子と陽電子をぶつけることができるようになった。ここでは素粒子のひとつZ粒子が見つかっている。そして、LEPの運用が終わった後、同じトンネルを使って、今のLHC加速器が設置されているのである。電子・陽電子ではなく、重たい陽子をぶつけることでさらに高いテラ電子ボルトの世界に足を踏み入れることができた。なお、LEPに使われた様々なパーツは、CERN本部の中庭に今も展示されている。

 ある一定年齢以上の実験物理学者なら、CERNでのこういった流れとは別に、さらなる巨大加速器計画があり、あっけなく計画自体が流れ去ったことを、今もトラウマ的に胸に刻んでいる人は多い。近藤さんもその1人だ。

CERNの中庭にLEP時代に地下トンネルで使われていたものが展示されていた。(写真クリックで拡大)