第2回 物理学者を「救った」CERN計画

「星を見るのが好きで東京大学の物理学科天文コースに入ったんですが、学部の3年や4年で物理コースの人達と一緒に、量子力学や相対性理論を習うんです。天文台で星を観測するよりも、もうちょっと原理的なものに興味を持ちまして、それで、宇宙線をやりたいなと思い、のちにカミオカンデでニュートリノを見つける小柴昌俊先生がおられた宇宙線研究室に入ったんです。まあ、子供の頃からラジオ工作して、手で何か作るのが好きで、小柴先生の研究室も実験の装置を作って研究するところでしたから」

 宇宙、天体、ラジオなどの電子・電気工作、といったことに、10代の頃、興味を持っていた人は多いはずで、ぼくもそのクチだから、一方的に親しみを感じてしまった。

「私が学生だった1970年代は、ちょうど素粒子、クォークを見つけようとしている時期でした。私も、クォークだとか、原子核だとか、素粒子とか、そういうところに興味持ちました。それで、私は当時東京の田無市にあった原子核研究所で、1.3ギガ電子ボルト(GeV)の電子シンクロトロンって加速器を使って、素粒子についてのドクター論文書かせていただいて、それからアメリカのフェルミラボ(フェルミ国立加速器研究所)に行ったんです」

 ここで重要表現が出てきたので注釈。電子ボルト、というのはエネルギーの単位だ。「ボルト」だからといって電圧の単位ではない。1ボルトの電位差(電圧)があるところで、1つの電子が加速した時に得るエネルギーが1電子ボルト。素粒子実験の分野では、よく使われる。桁としてギガ電子ボルト(GeV)、テラ電子ボルト(TeV)のあたりが頻出で、それぞれ、研究者はジェブ、テブと発音している。ヒッグス粒子を発見した第1期(RUN1)のLHCは、7TeVから8TeVのエネルギーで陽子を衝突させていた(またヒッグス粒子そのものが持つエネルギーは126GeV前後だった)。その時々で、この衝突のエネルギーを最大にできる実験装置が、実験物理のエネルギーフロンティアだと、基本的には言ってよい。

 近藤さんのそれ以降の経歴は、常に加速器実験とともにある。

フェルミ国立加速器研究所。(写真提供:Fermilab/Reidar Hahn)(写真クリックで拡大)