パリを流れるセーヌ川は、人々の喜びと悲しみを知っている。パリっ子たちの暮らしに寄り添い、いつの時代も愛と喪失のドラマの舞台となってきた。

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セーヌ川 水面に映る人生

パリを流れるセーヌ川は、人々の喜びと悲しみを知っている。パリっ子たちの暮らしに寄り添い、いつの時代も愛と喪失のドラマの舞台となってきた。

文=キャシー・ニューマン/写真=ウィリアム・アルバート・アラード

 パリの大動脈セーヌ川には、人々の暮らしや人間模様を映し出すさまざまな物が集まってくる。この川は昔から、パリの水路であると同時に、堀や水道、下水道、洗濯場の役割も果たしてきた。

 セーヌの流れは大きく蛇行し、パリの街を左岸と右岸に隔てている。左岸はボヘミアン的で自由な雰囲気に包まれ、右岸は高級住宅地とされてきたが、近年はそんな違いも薄れつつある。

 古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは「万物は流転する」と言った。その言葉通り、セーヌ川が同じ姿を見せることはない。

あなたが見るセーヌ川の色は?

「セーヌ川は透明です」と言うのは、スルスセーヌ村のマリー=ジャンヌ・フルニエ村長(当時)だ。パリから300キロほど離れたブルゴーニュ地方にあるこの村のモミ林に、セーヌ川の源泉がある。

 パリからこれだけ距離があるにもかかわらず、「セーヌ川はパリから始まる」と言われるのはなぜか。実は1864年、ナポレオン3世の命により、源泉はパリ市の所有になったのだ。湧き出たばかりのセーヌ川の水は澄みきっている。そして、ここもパリなのだ。

 印象派の画家たちは、セーヌ川の水面に移ろう光をキャンバスに描いた。クロード・モネはパリ郊外のアルジャントゥィユの近くに“アトリエ船”を構えた。またポスト印象派のアンリ・マティスのアトリエは、パリ市内のサン・ミシェル河岸通りにあった。
 印象派の画家たちの目がとらえたセーヌ川は、光と色彩にあふれていた。彼らはセーヌ川の流れだけでなく、この世の移り変わりまで写しとっていたのだ。

 モネが描いたセーヌ川はピンクや白、青に彩られていた。マティスのセーヌ川には赤が使われている。でもちょっと待って、とドリス・アルブは言う。彼女はポンデザールの近くに係留するサン・デイ号で暮らすアーティストだ。アルブに言わせるとフランス語の赤は微妙な色合いを指すこともあるという。
「ドイツ語では、赤と言えば赤です。でもフランス語の赤は少し黄色っぽかったり、ピンクに近かったり。赤に見えるだけのこともあるわ」

 彼女に、「あなたが見るセーヌ川は何色?」と聞いてみた。「セ・コンプリケ(複雑よ)。セーヌは人生と、それにまつわるすべてのものを映し出す。だから色も無限なの」

※ ナショナル ジオグラフィック2014年5月号から一部抜粋したものです。

編集者から

 ナショジオには珍しい、写真も文章もムーディーな特集。セーヌ川を舞台にさまざまな人間模様が繰り広げられます。
 パリには現在、ハウスボートと呼ばれる居住用の船が199隻係留されているそうです―「つまり、199の恋物語があるということ」。パリってやっぱりロマンチックな街ですね。これが隅田川とか江戸川だったら、「恋」って言われてもぴんときません。
 私のお気に入りは、老船乗りの“わんぱくじいさん”と妻ネネットの恋物語。80歳を過ぎても仲むつまじく、かつて恋に落ちた瞬間のことをみずみずしく語る姿が素敵でした。(編集M.N)

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