身代わり脱走

 収容所の医師だった仲間のドイツ人捕虜が、特権的な地位を利用して脱走に向けた準備を進めていた。地図、食糧、現金、衣服、スキー、さらには銃まで隠しもっていた。
 ところが彼は癌であることが判明、脱走計画を断念する。代わりにロストに脱走してくれるよう頼んだ。一つ条件があった。脱走に成功したら、ドイツにいる妻に連絡してほしい。

 1949年10月30日、医師は延々と警備兵たちの注意をそらし、その隙にロストは診療所を抜け出した。
 計画は単純だった。西に向かって、できるだけ速く、できるだけ遠くまで逃れる。追われるのは間違いなかったが、収容所から320キロ離れれば、警備兵たちも捜索をあきらめるはずだとロストは考えた。そこから南に向かい、中国に入る。

 ロストは毎日最低32キロ進むという厳しい目標を自分に課した。吹きすさぶ寒風と凍てついた大地は過酷を極めたが、人がいないのは好都合だった。それでもロストは、人との接触を避けるために特別の注意を払った。火を使わないようにして、凍った食べ物を少しずつ食べた。

 1カ月が過ぎた頃、2人の遊牧民のトナカイ飼いに出会った。ロストは彼らが自分を殺しもしないし、当局に突き出しもしないと確信した。彼らはロストに対して共感するところがあったようだ。ロストをキャンプに招き入れ、その後の3カ月間面倒を見てくれた。

 遊牧民と冬を過ごしたことは、ロストにとって非常に役立った。魚を釣り、動物を狩る方法、間に合わせの道具でテントを作る方法、コケを使って火をおこす方法など、シベリアの荒野で生きる技術を身につけられたのだ。
 ロストはこの経験から、人の助けを借りることの重要さも学んだ。しかしそれは、危険を招くこともあった。

山師たち

 1950年6月、ロストは自分と同じ逃亡者3人と出会った。刑務所から脱獄したロシア人で、冬は猟師、夏は山師として暮らしていた。
 ロストは1年間彼らの仲間となり、ピョートル・ヤクボビッチというロシア人名を名乗った。男たちはチームを組んで仕事をした。6月から10月までは1日12時間、砂金をとった。とてもつらい仕事だったが、秋までには砂金が小さな山になった。彼らはそれを山分けにした。

 仲間の一人グリゴーリは金塊を持っていた。囚人として金鉱山で働いていたときにくすねたものだ。その金塊を見つけた仲間たちが、殺し合いを始めた。その結果、ロストとグリゴーリだけが生き残った。グリゴーリは、今や極度の被害妄想にも陥っていた。5日後、グリゴーリはロストの砂金も盗み、ロストを崖から突き落として置き去りにした。

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