第3回 収容所から脱出し、1600キロを徒歩で逃げたアボリジニ3少女

 1920年から30年のあいだに、アボリジニとの混血の子供たち10万人以上が家族から引き離された。

 子供たちが家族から引き離されたのは、農場労働者や使用人として教育することが目的だった。政府が建設した強制収容所の環境は劣悪。窓に鉄格子のはまった監獄のような寮で、薄い毛布は夜の寒さを防ぐことができず、食べ物は必要最低限しか与えられなかった。

 こうした「先住民収容所」はたいてい、子供たちの故郷から何百キロも離れていた。脱走して捕まった子供は頭を丸坊主にされ、鞭で叩かれ、しばらくのあいだ独房に入れられた。

3人の少女

 14歳のモリー・クレイグ、11歳の異母妹デイジー・ケイディビル、2人のいとこで8歳のグレイシー・フィールズは、1931年8月、パースの北にあるムーアリバー収容所に到着した。そこからおよそ1600キロ離れたジガロングに住む家族から引き離され、連れてこられたのだ。

 3人はすぐに決心した。故郷に帰ろう。
 計画は単純。ウサギよけフェンスに沿って歩いていくのである。

 3人にはそれぞれ質素なワンピース2枚と白い綿のブルマー2枚しかなく、靴はなかった。食べ物は小さなパン1つだけ。それでも収容所にきた翌日、3人は寮に身を潜め、監視の隙を突いて、原野のやぶまで逃げ出した。
 3人にとってそこは、恐ろしい収容所に比べればはるかにましな場所だった。フェンスにたどりつくまでに数日かかる。故郷ジガロングまでは、さらに数週間、砂塵の舞う低木地帯を歩くことになる。

 だが少女たちには、そんな土地でも、食べ物を見つけて生き抜くことができるという自信があった。3人にとって最大の恐怖は、必ず派遣される捜索隊に捕まることだった。それまでの脱走者はすべて、アボリジニ追跡人によって捕らえられていた。追っ手を出し抜くためには、巧妙に身を隠し、すばやく移動しなければならない。モリーは1日に32キロ進むという目標を立てた。