第4回 こんなにすごいアルマ望遠鏡

 天文学を志す人には、幼い頃みた星空の美しさがひとつの動機付けになっていることがしばしばあると思う。そして、順当に天文学の世界に進んだ河野さんが大学院生だった1990年代の初頭は、ミリ波観測の転換点となる時期だった。河野さんは「運命の出会い」を果たすことになるわけだが、そもそもの話として歴史を辿ってみると、電波で宇宙をみる発想は20世紀になってからのものだ。ガリレオ・ガリレイにさかのぼる光学望遠鏡での観測に比べると格段に若い観測手段だ。

「宇宙電波が見つかったのが、ちょうど第二次世界大戦の前で、通信技術の発展とともに、どうも宇宙からの電波というのは面白いらしいとわかってきました。その中で最初に中性水素、つまり水素原子から出てくる放射の性質が理論的にわかって、オランダとアメリカのグループで観測競争になったんです。初めてそれが検出された時には、『ネイチャー』に一緒に載ったと。こういうのは、なぜか必ず競争になるんですね」

野辺山天文台の口径45メートルの電波望遠鏡。(画像提供:国立天文台)(写真クリックで拡大)

 中性水素の観測は、ミリ波よりもやや長い波長だ。その後、「電波で宇宙を見る」方法が、電波天文学として花開く。日本では、長野県の野辺山宇宙電波観測所に建設された口径45メートルの電波望遠鏡が、1982年から観測を続けている。これは巨大な一つのパラボラアンテナによるものだ。様々な波長に対応しており、ミリ波を観測できる単一の望遠鏡としては世界最大だそうだ。そして、1990年代になると、さらに「大きな」望遠鏡を作れないかという課題が浮かび上がっていたわけだ。のちに「アルマ」に集約されていく「干渉計」の計画を各国が練っており、まさに競争状態だった。

「野辺山の天文台に行ったときに、次世代の大型望遠鏡として、干渉計を作る計画を聞かされました。まだ場所も決まっていなくて、当然、アルマという名前もありませんでした。各国がばらばらに構想していて、日本としての準備といいますか、まずは場所を探すための装置の開発をしないかと提案をいただいたんです。ミリ波・サブミリ波で見た大気の透明度を測る装置です。それを実際に作って、私自身、世界各地を回ってくることになりました」