私は尻餅をついたままで考えていると、雪まみれで冷たく痛む耳に、小さく聞こえてきた。
「引き返しましょう」
こちらに歩み寄りながら、トーニャがそう言った。
ここを越えれば、ロッジまであと少しという道に出ることができる。
けれどトーニャは、来た道を引き返す判断を下した。
私はとっさに、引き返すなんて嫌だ。遠回りなんて、もっと嫌だと思った。
諦めずにもう1回頑張ろう、と。
でも言葉にはしなかった。
そういう無理がのちのち、しわ寄せを招くことを私は十分に知っているからだった。
「厳冬の森のなかではね、引き返そうか? と思った瞬間が、その答えなのよ。迷ってはダメ」
トーニャは、そう言った。
私も、それが正しいと思った。
こういう場合は、迷いを断ち切って、直感で行くほうがいい。
私もそうだけれど、女性というのは頭で理論立てて考えるよりも、直感を大切にするのかもしれない。
私は不満なども無く納得して、犬たちと橇を安全に後退させて、Uターンさせた。
さあ、帰ろう。
冒険は、これでおしまい。
家に帰るよ。
私は、さっきまでの気合を込めた強い口調の「ハイク!」ではなく、小さく優しい気持ちで、「ハイク!」と言った。
つづく

廣川まさき(ひろかわ まさき)
ノンフィクションライター。1972年富山県生まれ。岐阜女子大学卒。2003年、アラスカ・ユーコン川約1500キロを単独カヌーで下り、その旅を記録した著書『ウーマンアローン』で2004年第2回開高健ノンフィクション賞を受賞。近著は『私の名はナルヴァルック』(集英社)。Webナショジオでのこれまでの連載は「今日も牧場にすったもんだの風が吹く」公式サイトhttp://web.hirokawamasaki.com/