図1:解明されたニホンウナギの生活史。成長すると黄色味を帯びることから成魚は「黄ウナギ」と呼ばれ、海に降りるときは銀色がかるため「銀ウナギ」と呼ばれる。(画像クリックで拡大)

 改めて確認しておくと、一般に川の魚と考えられがちなウナギだが、実は外洋で産卵する降河(こうかい)回遊魚である。ニホンウナギの場合、この産卵場が日本から2000キロ以上離れたマリアナ諸島周辺海域にあることが、2009年になってようやく突き止められた(図1)。ここでふ化したニホンウナギの仔魚は、柳の葉のようなレプトセファルスと呼ばれる浮遊幼生(ふゆうようせい)となり、およそ半年もの間、フワフワと海流に流されながら成育場である東アジアの沿岸域へやってくる。5~6センチほどに成長したレプトセファルスは、そこで親と同じ形の透明なシラスウナギへ姿を変え、河川へ来遊するのだ。今、私たちが食べている養殖鰻はすべて、この時に河口域で採集され、養鰻池で育てられたものである。近年になって人工的に卵を産ませて育てる“人工種苗生産技術”が完成したものの、まだまだ商業的に成り立つ段階には至っていない。つまり、“養殖鰻”は養鰻場で育ったとはいえ、はるかマリアナの海から数千キロの旅を経て日本に辿り着いた正真正銘の“天然生まれ“なのである。

図2:ウナギの資源量の変化

 1970年代以降、資源の減少傾向が明らかだったニホンウナギの養殖用種苗(シラスウナギ)の価格はじりじりと上昇を続けた。この時、まず代役として持ち上げられたのが、北大西洋に生息するヨーロッパウナギだった。安価なヨーロッパウナギのシラスウナギは中国へ持ち込まれ、ここで養殖、蒲焼きにまで加工されて日本へ流れ込んだ。ご記憶の方も多いと思うが、かつて専門店でしか味わえなかった高級品の「蒲焼き」が、スーパーの店頭で山積みにされるようになったのは1990年代に入ってからである。こうして我が国は、世界の鰻生産の70%以上を消費する“メガマーケット”の地位を不動のものとした。しかし、時代の寵児としてもてはやされたヨーロッパウナギは恐るべき勢いで減少し、その資源量はあっという間に1960-70年代のわずか数パーセントにまで落ち込んでしまった(図2)。結果として、2007年にはCITES(通称:ワシントン条約)の附属書II、2008年には国際自然保護連合のレッドリストに絶滅危惧種(CR)として記載される事態に陥った。日本ではあまり話題にならないが、欧米では「日本人がヨーロッパのウナギを食い尽くした」とまことしやかにささやかれている。こうしてみれば「代役」というのは体のいい表現で、正確には浅ましき日本人の食欲の「犠牲者」というべきなのかもしれない。

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