天高くそびえる山。その雄大な姿は、過去、多くの登山家を魅了してきたが、過酷な自然故に頂を征服しようとする者を簡単には寄せ付けることはなかった。それだけに登頂に成功した登山家には大きな賞賛が贈られてきた。それは21世紀になった現代でも変わりはなく、昨年、80歳にしてエベレストの登頂に成功した三浦雄一郎さんに多くの人が注目したことは、今なお記憶に新しいことだろう。登頂に成功すれば大きな栄誉が得られる一方で、失敗すれば人知れず山を去るほかなく、山は登山家たちの人間ドラマを生む舞台となってきた。そこで、今回は実話を元にした5つの山岳映画を勝手に選出。その見どころを紹介することにしよう。

不規則な凹凸だらけの奇岩の塔に初挑戦するクライマー。このとき彼は、登りとまったく同じルートで下りてきた。単に登るだけよりも、その難易度はさらに高い。画像3点を合成。写真=Jimmy Chin
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『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年、アメリカ)
 アイガーの初登頂で知られるオーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーと少年期のダライ・ラマの交流を描いたアメリカ映画。1939年、ドイツの遠征隊に参加したハラーはヒマラヤを目指すが、第二次世界大戦の勃発により、イギリス領であったインドで捕虜となってしまう。数年の捕虜生活の後、収容所からの脱走に成功。過酷な旅の末にチベットにたどり着き、ダライ・ラマと交流するようになる。ドイツを発つ時には妻に対して傲慢な態度をとっていたハラーだが、艱難辛苦の旅とダライ・ラマとの交流を経て、精神的に成長していく様子も描かれ、人間ドラマに軸足を置いた演出になっている。ハラーら登山家を寄せ付けぬ美しくも厳しいヒマラヤ山脈の自然をじっくりと堪能できるのに加えて、五体投地をする巡礼者、砂絵の曼荼羅など、伝統的なチベットの風習も紹介される。原作はハラー自身による『チベットの七年』(白水社)。

『ヒマラヤ 運命の山』(2010年、ドイツ)
 人類史上初の8000m峰全14座完全登頂に成功した、イタリアの登山家ラインホルト・メスナーと、その弟ギュンターが参加した、1970年のナンガ・パルバット遠征を中心に描く。この遠征では4800 mという標高差を誇るルパール壁の初征服が目指されたが、ラインホルトは事あるごとに、隊の結束を求める隊長のカール・ヘルリヒコッファーに反発。天候が好転するのを見て、単独での登頂を申し出て、実際に登頂しようとするが、兄に先を越されるのを良しとしないギュンターも追随し、2人で登頂に成功する。しかし、下山の十分な装備はなかったために2人は遭難してしまう。最終的にラインホルトは生還するが、ギュンターは亡くなり、これが様々な憶測を呼ぶことになる。第5キャンプから頂上までの行程ではほとんど垂直の氷壁を登る様子が撮影されており、映画用の大きな機材でどのように撮影されたのか興味がわいてくる。ただし、垂直の氷壁を上から臨むシーンが多く、高所恐怖症の方はご注意を。ちなみにこの映画では主人公のモデルとなったラインホルト・メスナーは、フィクションではあるが、ドイツの映画監督ベルナー・ヘルツォークの『ザ・クライマー 彼方へ』に原案で参加しており、こちらでは南米パタゴニアの鋭峰セロ・トーレ登攀を目指した男たちの物語が描かれる。

『127時間』(2010年、アメリカ・イギリス合作)
 アメリカの登山家アーロン・ラルストンの自伝『アーロン・ラルストン 奇跡の6日間』(小学館・文庫は映画に合わせて『127時間』と改題)を原作として、彼が2003年にキャニオンランズ国立公園で遭遇した事故を描いている。キャニオニングと呼ばれる渓谷を下るアウトドアスポーツを楽しんでいたラルストンは誤って滑落。岩と岩盤の間に右手が挟まれ、身動きがとれなくなってしまった。その時、ラルストンが携帯していたのはボトル1本の水とわずかな食糧だけ。このまま身動きがとれなければ、いつかは衰弱して死んでしまう。岩を小型ナイフで削るものの、挟まった右手はまったく動かせそうにない。最終的に右手を自ら切断して生還するのだが、死を意識して精神的に追い込まれていく様子を演じきった主演のジェームズ・フランコの演技は高く評価され、惜しくも受賞は逃したものの、アカデミー賞主演男優賞、ゴールデン・グローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)にノミネートされた。タイトルの『127時間』は滑落してから生還するまでの時間を意味している。

『生きてこそ』(1993年、アメリカ)
 これまで紹介した作品が登山家の物語であるのに対して、この『生きてこそ』は航空機事故によりアンデス山脈の高地に取り残された生存者が生還するまでが描かれる。1972年、ウルグアイのラグビーチームと、その家族・知人を乗せたウルグアイ空軍チャーター機は空港管制の誤誘導によりアンデス山脈に墜落。生存者は標高4200mをサバイバルしなければならなくなったが、飛行機に残された食糧は乏しく、事故死した者の遺体を食べて飢えをしのぐほかなかった。そして、ラジオで捜索が打ち切られたことを知り、自力での下山を試みるものの、生存者の眼前には幾重にも連なる峰々が立ちはだかる。映画を見る者にとっては圧倒的な光景であるが、それは生きて元の世界に戻るという想いを打ち砕くのに十分すぎた。それでもなお、下山を試みるイーサン・ホーク演じる主人公の生存への執念は見るものを感動へと導くだろう。この墜落事故後の生還劇については、劇映画『生きてこそ』のほか、『生存者』というドキュメンタリー映画も制作されている。

『八甲田山』(1977年、日本)
 八甲田雪中行軍遭難事件を題材に、一部創作を加えて書かれた、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を原作に製作された日本映画。日露戦争の開戦が現実味を帯びてきた1902年、雪中活動を研究するため、日本陸軍は青森歩兵第5連隊と弘前歩兵第31連隊に八甲田山での雪中行軍を計画させる。それぞれ八甲田山に分け入り、途中すれ違って踏破する予定だったが、弘前歩兵第31連隊の行軍隊が少数精鋭で踏破に成功したのに対して、青森歩兵第5連隊は雪中行軍の指揮を大尉(北大路欣也)に任せていたにもかかわらず、随行隊の一員として雪中行軍に付き従った少佐(三國連太郎)の横やりで指揮系統は混乱。その結果、道に迷って遭難してしまい、寒さのために1人、また1人と凍死していった。過酷な自然の中にあっては適切な判断が、いかに重要かを物語っている。映画の撮影は真冬の八甲田山で行われており、当時の行軍隊が感じていたであろう厳しい寒さが伝わってくる映像になっている。

(文・斉藤勝司)

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