第3回 植村直己に教えられたこと

 とっさに僕は「困ったな」と思った。「日本人登山家のせいで、俺は指を失った」と責められるのではないかと身構えました。でも、違いました。彼は言うんです。

 「指を失ったあと、ナオミは何度もここに来た。病院に連れて行ってくれたし、仕事ができない間は生活費も送ってくれた」と。

 当時、シェルパは家畜のような扱いを受けていたけれど、ナオミは我々を同じ人間として扱ってくれたと言うんですね。そういう話は、この村でのことばかりではなく、行く先々で聞くんです。

――野口さんは、遭難したときの補償が不十分なシェルパのために基金を設立したり、ネパールに学校をつくるなど、さまざまな活動を続けていますが、その理由が今、わかったように思います。野口さんの後ろにはずっと植村直己さんがいるのですね。

(つづく)

シェルパ基金の子どもたちと野口健さん(クリックで拡大)

野口健(のぐち けん)

1973年、アメリカ・ボストン生まれ。1999年、七大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立。2000年から「富士山が変われば日本が変わる」をスローガンに富士山清掃をスタート。他にもシェルパの子女への教育援助、戦没者の遺骨収集など精力的に活動を展開中。主な著書に『落ちこぼれてエベレスト』(集英社)『それでも僕は「現場」に行く』(PHP研究所)、昨年、初の写真集『野口健が見た世界 INTO the WORLD』を刊行。


高橋盛男(たかはし もりお)

1957年、新潟県生まれ。フリーランスライター。自動車専門誌の編集を手がけたのちフリーライターに。JR東日本新幹線車内誌「トランヴェール」、プレジデント社「プレジデント」「プレジデントファミリー」などに執筆。