――この写真を写真集に載せたのは?単に登山の危険を伝えようとしたわけではないですよね。

 違います。そうではない。僕らはふだん、文明に支えられて何不自由ない生活をしていて「死」を意識することがあまりないでしょう。あったとしても、そうリアリティーのあるものではないと思う。

 でも、僕は死を意識する機会がないと、人間は生きるという欲求を薄れさせてしまうのではないかと思っているんです。

――さまざまな「死」を、山で見てきたからですか。

 そうです。僕は、自分の年の数と同じくらいの仲間を亡くしています。

 最初は19歳のときです。一緒に甲斐駒ヶ岳に登った先輩が滑落しました。冬の岩壁から、600m下へ。落ちた場所は、雪崩が集中するところで、捜索できませんでした。彼の遺体が発見されたのは、ゴールデンウィークごろ。雪が解けてからです。

 すさまじい姿でした。頭はつぶれているし、腐敗がひどい。
 それまで僕には、何となく「死」を美化しているところがありました。高校時代から読んでいた多くの登山家の本にも「死」が出てきます。けれど、登山は冒険ですから、死ぬこともあると思うくらいの認識。若かったから、むしろ命をかける行為に憧れを抱いていました。

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