第20回 パンタナールで480頭の牛追い旅に出た
テレビが世界をひらいた
ぼくが子供の頃、金持ちとビンボーの家を区別するのは簡単だった。
家にテレビがあるかないか、である。
日本でテレビが初めて一般放送を開始したのは1953年のことで、殆ど試験放送に近かったから夜のゴールデンタイムに数時間放映する程度だったと記憶している。それでも裕福な家はテレビを買ったのだ。買った人のこころのなかにはたぶん「見栄」というものが相当あっただろう。
受像機がじわじわ安くなっていって、放送局も増えていって、そしてバクハツ的に普及したのは「プロレス」放送のためだった。
新橋の駅前広場に14インチの街頭受像機に1000人ぐらいが群衆を作った。そのすさまじい写真を見たことがある。
裕福でなかったぼくの家にテレビがやってきたのはぼくが小学校5年生の頃だった。やっと学校の仲間たちと同じ話題に加われる、ということと、食後に家族とともに自宅でアメリカの連続映画を楽しめる、という黄金の娯楽空間が我が家におとずれたのだ。
いまはそれぞれの家庭に別れてわが椎名一族はバラバラになってしまったが、思えば家族全員がひとつの部屋に集まりひとつの画面の物語を全員で楽しんでいたなんて、人生のほんの一時期の「黄金時代」というしかない。
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