第2回 村田園長が動物園に科学が必要と思いいたるまで

村田浩一園長。(写真クリックで拡大)

 よこはま動物園ズーラシアの村田園長は、動物園での飼育員・獣医師の現場経験を持ち、大学教授として野生動物の研究に携わり、目下、動物園長でもある、という希有な存在だ。

 海外、特に北米、欧州では、動物園長がアカデミックな経歴を持っていることは普通だし、それどころか、日本では飼育課長と訳される「キュレーター」も高度な専門職として、博士号を持っていることが多い。日本の飼育課長はむしろ行政職的な立場だから、名刺に英語でcuratorと書き、国際会議に出席したりすると、どことなく変なことになる。北米、欧州の動物園関係者は日本の現状を知っており、日本のcuratorの生物学的な知識レベルにあまり期待を寄せていないがゆえに、それほど表だって問題になることはないのだが、悲しいことだ。これは園長についても言える。

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 村田さんは、専門性において、国際的に引け目を感じずに済む珍しい「日本の園長」だ。そこにいたるまで、どのような経路を通ってきたのか。そこには、20世紀の日本の動物園と21世紀の今を結ぶ線が1本引かれている。

「今、動物園に就職する若者は、百倍以上の倍率をくぐり抜けないと入れないですから、意識が高いです。でも、私は、そんなふうではなくてとにかく海外で暮らしたかった。1975年に獣医学科を卒業して留学しようと思っていたんです。それで、就職せず山小屋で働いたり、デパートで冷蔵庫を売ったり、とび職をしたりして、お金を貯めて、それでも足りないから国費留学を目指したんですが、ハワイ大学に落ちてしまって。そうこうするうちに、家庭の事情でお金を稼がなければならなくなって、神戸市に就職したんです。最初は保健所勤務でした」

 のちに王子動物園に配属になる村田さんが、最初は保健所勤務というのは、当時としてはそれほど驚くことではなかったはずだ。今とは違って、多くの動物園が地方自治体の直轄だった。保健所や食肉衛生検査所などに配属される獣医師が、通常の人事異動で動物園に動くこともよくあった。もちろん、その逆も、である。

 ところが、村田さんの場合、ちょっとルートが違っていた。

本誌2013年10月号でも動物園にまつわる特集「[保護する/PROTECT]動物園はノアの箱舟」を掲載しています。Webでの紹介記事はこちら。フォトギャラリーはこちらです。ぜひあわせてご覧ください。