鶏肉にはほとんど味がついていない。テピートでは皮がパリッとするので焼いているが、茹でるだけという場合が多いそうだ。でも、きっとそれでいいんだ。シンプルだからこそ肉のうま味がモレと見事に絡み合う。主役は肉ではなく、あくまでモレなのだろう。

 「モレは首都・メキシコシティの南東約120kmのところにあるプエブラという町で生まれました。プエブラは私の祖母の出身地で、モレは祖母、曾祖母と代々受け継がれてきたんです」。鶏肉のモレをほおばっているとチューチョさんが、モレについての思いを語ってくれた。

 「いまはミキサーがあるけれど、昔は材料を石臼ですっていました。それを煮て漉してと、とても手がかかる。そうやって祖母が作るモレがいつも待ち遠しかった。店の名前『テピート』はメキシコシティにある町の名前なんですが、貧しい人たちが住むスラム街のようなところ。そこで育った私にとって、たくさんの材料が必要なモレは、誕生日や何かの記念日にだけ食べられる、高級な料理でもありました。だからモレは“おばあちゃんの味”であり、“嬉しい日に食べる特別な料理”なんです」

 チョコレートの原材料であるカカオの原産地は中南米だ。メキシコでは古代からカカオを食し、また金や銀と同じく硬貨として使うなど貴重に扱われてきた。モレは17世紀、権力者に出すために修道院で作られたのが始まりだという比較的新しい料理だが、ハレの日に食べるのは手が込んでいるからだけではなく、メキシコ人が大切にしてきたカカオの歴史的背景もあるのかもしれない。

バンド「トリオ・デルフィネス」時代のチューチョさん(写真右)。80歳になるチューチョさんは昨年、音楽の世界から引退したという

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