巻頭言からは、北極点への冒険に対する特別な想いが読み取れます。この連載の「北極点を制覇せよ!」の回で紹介したように、1909年に史上はじめて北極点に到達したロバート・ピアリが本当に北極点に立ったのかどうか、実はわかりません。それだけでなく、ライバルだったフレデリック・クックとのスキャンダラスな確執もありました。協会はピアリを支持したわけですが、人類初の北極点への到達はナショジオにとって、いや、米国にとって、すみが曇ったレンズのようにどこかすっきりしないものだったのです。

 また、植村直己の北極点単独行については、飛行機や無線などの「文明の利器」を使いすぎという批判がありました。この件についてもグロブナー編集長はきっぱりと見解を表明しています。

 以下がその翻訳です。

「叙事詩のような犬橇による単独行をなしとげて、日本の冒険家である植村直己が北極点に到達したと聞いたとき、疑いをさしはさむ理由はまったくなかった。頭上はるか遠くを飛びまわる人工衛星が犬橇に積まれた送信機の信号を受けて彼の位置を特定しているし、さらに冒険の途中で5回補給をした飛行機によっても確認されていた。

 北極探検の物語を聞いて育った人ならば、すぐにロバート・E・ピアリのことを思い出すだろう。コロンビア岬からの長く厳しい道のりを犬と橇が運ぶ荷物に命をゆだねられていた1909年には、状況はどれだけ違っていたのだろうか。69年前であれば、植村と白熊の対決は間違いなく大きな災いと、おそらくは死を意味していたはずだ。

 ピアリ大佐とライバルのフレデリック・クック医師が洗練された最新のナビゲーション機器を持っていたら、いまだに彼らを取り巻く長い論争は決して起こらなかった。この星の最高の緯度では、疲れきったギリギリの人間が観測を誤る機会はいくらでもある。

 振り返ってみれば、あの頃の探検家が北極点を見つけたとしても、到達しなかったとしても、あるいは、行き過ぎたとしても、さほど問題ではないように見える。彼らはある種の勇気と不屈の精神の典型であり、その心性こそが彼らにとっての記念碑だ。技術的な勝利に不足した人々が永遠なる徳の勝利に到達したのだ。

 もしテクノロジーが危険を減らしたのだとすれば、同時にそれは危険の過酷さを認識させることにもなったのである」

 それは記事を読めばわかる、ということですね。『ナショナル ジオグラフィック』のバックナンバーは無理でも、植村直己に興味を持たれた方は『北極点グリーンランド単独行』や『植村直己 夢の軌跡』を読んでみてください。

1978年9月号より。(写真クリックで拡大)

つづく

(Web編集部S)

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