File6 海の無人探査ロボット開発者 石橋正二郎

第3回 エンジニアは被告席に座らなければならない

 見学後、教授は「実習生として、JAMSTECへ行ってみるか」と言ってくれた。石橋さんは、博士課程の後半をJAMSTECで過ごす。
 最初はマニピュレータではなく、スラスタ制御のプログラミングを担当したが、実際に海に潜るものに関われることの楽しみを覚えた。そして、受け入れた側の担当者、AUV開発の第一人者である青木太郎さんに「うちで働いてみるか」と誘われる。が、石橋さんはいったん断る。なぜなら夢は相変わらず、教授と呼ばれることだからだ。
 ところが、博士号取得の直前になって行く予定だったオランダ留学が手違いで空振りになり、あわてて青木さんに「やっぱりJAMSTECで働きたいです」と申し出る。すったもんだはあったものの、特別研究員を経て、JAMSTECに正式に採用された。

入所1年目の大事件

 最初に任された仕事は、茨城県日立市へ行くことだった。JAXAの前身であるNAL(航空宇宙技術研究所)とNASDA(宇宙開発事業団)、NICT(情報通信研究機構)の前身のCRL(情報通信研究所)とTAO(通信・放送機構)との共同プロジェクトにかり出されたのだ。飛行船で成層圏の二酸化炭素を測定する。JAMSTECの、つまり石橋さんの担当はそのセンサーだった。
 3カ月後、プレ飛行は無事に終わった。石橋さんが担当する二酸化炭素の測定以外は。
 センシングができていない。遠隔操作パネルの表示はそれを示唆している。周囲の空気が変わった気がした。石橋さんは青木さんに電話をかけた。当時28歳の新人。こういったとき、どうしたらいいかわからない。まもなく共同記者会見が始まってしまう。
 青木さんの指示は「冷静でいろ」「本体にはデータが記録されている可能性が高いから『これから調べる』を貫け」。確かに、データがまるで取れていないと証明されたわけではない。
 会見では予想通り、二酸化炭素の測定結果に関する質問が出た。石橋さんは、青木さんに言われたとおりに答えたが、会見後、質問をした記者は石橋さんを追いかけてきた。そしてICレコーダーを差し出して「本当は、データが取れていないんじゃないですか?」
 数日後、飛行船からセンサー本体が回収されると、石橋さんは本当にデータが取れていないのか、そして、なぜデータが取れていなかったのかを徹底して調べた。何度調べ直しても、センサーが悪いのではなく、センサーへ必要な情報が届いていなかったという結論になる。しかし、周囲はそれを認めてくれない。石橋さんは悟った。
「この世界では、結果でしか評価されない」



 だから石橋さんはそれ以来、「石橋という名の通り、叩いて叩いて」いる。AUVに何かあったときにも、浮上だけはするように、海の中でロストはしないようにと何重にも異常系の設計を施している。

世界最深の海も調査できる無人探査機ABISMOをコントロールする石橋さん。2008年。(提供:石橋正二郎)(写真クリックで拡大)