1941年の時点でこの手記を掲載したということは、グロブナー編集長がヘイエルダールを認めていたからにほかなりません。

 コン・ティキ号支援の経緯についても、実際は映画と異なります。

 ことの次第は、冒険の計画を聞きつけたグロブナーがまず協会の理事に資金援助を申請すべきとヘイエルダールにアドバイスしたものの、「漂流計画は全くの自殺行為だから援助はしないほうがいいと理事会の技術顧問たちが勧告した」という手紙を受け取った、というものでした。協会に呼ばれたのではなく。まあ映画に脚色はつきものですし、ナショジオ協会としてもばっちり出番があってよかったのではないかと中の人は思いますけど。

1971年1月号では「ラー2世号」が表紙を飾りました。(写真クリックで拡大)

 コン・ティキ号のあとも、ヘイエルダールは葦で作った船「ラー2世号」で大西洋を横断し、さらにもうひとつの葦船「チグリス号」でメソポタミア、インダス、エジプトの三大文明を結ぶ航路を調査しました。『ナショナル ジオグラフィック』はそれぞれ1971年1月号と1978年12月号で詳しいレポートを掲載しています。

 残念ながら、コン・ティキ号の冒険によってヘイエルダールが証明しようとした学説はいまはほぼ否定されています。しかし、その業績は「実験考古学」の先駆者として高く評価されています。彼の冒険の価値が色あせることは決してありません。

(Web編集部S)

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