台湾の玉山(3952m)が日本の実質統治下に入ったからでした。以後、終戦まで富士山は日本最高峰ではなくなるものの、1945年12月号「素顔の日本」では、「比類なき富士山が日本人にとっても余りにも大切なので、台湾の玉山が富士山より高い山となったとき『新高山』と名づけたのだ」という説明がありました。そういわれてみると、「新しい高い山」は確かに「以前の高い山」を意識させます。

 戦争にまつわるものではこんなエピソードもあります。

「日本の自然の美しさの象徴であり、東京に近い富士山は同盟国の爆撃機にとって素晴しい目印になるだろう」(1944年4月号「日本と太平洋」)。1945年4月号では東京へ向かうB-29から撮影された写真が掲載されています。独立峰の富士山は目立ちますからね……。

 戦後しばらくすると、日本への注目度が下がるにつれて日本の記事自体が減り、富士山が紹介される機会も少なくなります。目覚ましい発展を遂げて日露戦争にも勝利した戦前、米国の敵だった戦中、そして、急速に復興した終戦直後と比べたら、アメリカの雑誌で日本の記事が減るのは当然でしょう。メディアの多様化によって情報も増えますし。

2001年に閉鎖されたテーマパーク「富士ガリバー王国」内の巨大ガリバー像と富士山。ポイントは「聖」と「俗」の対比でした。(写真クリックで特集ページへ)

 そんななか、2002年8月号に突如として決定打が登場します。

 20ページにおよぶ特集「富士山:日本の霊峰」です。25年ぶりに富士山に登った米国人ジャーナリストが登山レポートに織り交ぜる形で、富士山の「聖」と「俗」について書いた記事。写真を見ればわかるとおり、日本人にとって大切な山にもかかわらず、ヘンテコな公園とかができる状況が外国人からみてよほど不思議だったと見えます。

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