第15回 ときにはカッコ悪い旅 パタゴニア追想記 その(3)

 インターネットのない当時、日本にいて詳しい情報を正確に得るのは難しい、という事情もあったが、彼はその要求に名乗りをあげてきたヴィクトリア号がふだんはバルパライソ(チリ中部の観光都市)を本拠地にする「遊覧帆船」であった、というとんでもないペテンに気がつかなかった。湾内遊覧用のインチキ帆船だからキール(船底に張り出したバラスト)がない。つまりは順風(うしろから吹いてくる風)以外は危なくて本格的に「外洋」を航海することができないハリボテ帆船なのだった。ディズニー・シーあたりに浮かんでいる模造船をちょっとましにしたようなものなのだ。

 けれどそんなことを知らない日本人プロデューサーは「ナバリーノ島までこられるなら契約しよう」と言ったらしい。相当に高額の前払い金が払われる。そのカネに目が眩んで船長はバルパライソからナバリーノ島までなんとかしてその船をもっていこうとした。

 しかしもともとまともな航海はできない船だ。距離は2500kmある。よほど天候がよく、強い風が吹かない日だけ選んで島づたいに小さなエンジンをつかってなんとか南下を開始した、というのが真実なのだった。 

 その噂をきいたチリの多くの船乗り、海軍関係者たちは「ヴィクトリア号」が沈まずにナバリーノ島までたどりつけるかどうか、みんなで「賭」をしていたらしい。その「賭」の率たるや「沈む」が90パーセントを超えていたというからひどい話だ。

つづく              

椎名誠(しいな まこと)

1944年、東京生まれ。作家。『本の雑誌』初代編集長、写真家、映画監督としても活躍。『犬の系譜』で吉川英治文学新人賞、『アド・バード』で日本SF大賞を受賞。近著の『わしらは怪しい雑魚釣り隊 エピソード3 マグロなんかが釣れちゃった篇』(マガジン・マガジン)、『そらをみてますないてます』(文藝春秋)、『足のカカトをかじるイヌ』(本の雑誌社)、『どーしてこんなにうまいんだあ!』(マキノ出版)、『ガス燈酒場によろしく』(文藝春秋)ほか、著書多数。公式インターネットミュージアム「椎名誠 旅する文学館」はhttp://www.shiina-tabi-bungakukan.com/