第14回 パタゴニア追想記 その(2)

予想もしなかった岬の頭

 まったく無人と思っていたケープホーンの上に人間が住んでいた、という信じられないような光景が目の前にあった。しかも複数の人がいる。みんな軍服を着ていたから、それがどういう種類の人か、ということはすぐにわかったが、今回の航海がすべて軍事行動レベルのものであり、たまたまその軍艦に乗り込んだぼくが何も知らされていないだけの話で、チリ海軍の水兵らはきわめて平然としていた。

 ケープホーンの上にはそのあたりで伐採できるナンキョクブナの丸太をそのまま使ったいくつかの建物が点在しており、我々を迎えてくれた兵隊たちはみんな20歳そこそこ、という若い顔ばかりだった。

 民間の外国人には説明はいっさいなしなので、なにがなんだかわからないうちに2時間でまた軍艦に戻る、と言われた。

 ケープホーンにいる兵隊らは30人ぐらいだった。みんなアジアの人間は初めて見るらしく好奇心満開、という顔でこちらを見ている。なかでも驚いたのは、1人の兵士が海からの階段を走ってきて、ぼくに腕に抱えていたものを渡してくれたことだった。それは生きているペンギンだった。まだ10代とおぼしきその兵士は、遠来の客にそのペンギンをプレゼントしてくれたのだ。まあありがたいけれどやや困る。

 30人もの兵士が常屯しているのだから生活物資をはじめとして燃料や兵器などの移送は常に行われているのだろう。しかしその日のぼくのような外国の民間人がやってくることなどまずないだろうから、彼らは一様に面白がっているようであった。限られた場所に半ば幽閉同然に暮らしているのだろうからそんなことでも「変化」のあるできごとだったらしい。

 この岬の上までの土と岩と木で作られた荒っぽい階段も、それからなんといっても意表をつく「ようこそケープホーンへ」のアーチ型の看板も、おとずれる観光客など皆無であることからやけっぱちまじりの面白半分で作ったものらしい、とその頃には理解できた。

 こんな辺境の、ただ毎日強烈な風が吹きまくる岬の頭の上になぜ兵士たちがいるのか、ということもわかってきた。あらっぽい丸太づくりの兵舎の先に這い松などに隠した高射砲や機銃があるのを見たからだ。

 1983年当時、チリは南極の一部を自国の領土と主張、数年前におきたフォークランド戦争以降は隣接するアルゼンチンとは(代理戦争の)まだ敵対関係にあった。ケープホーンの頭の上はチリの橋頭堡になっていたのだ。