隋の時代に初めて運河が築かれてから約1400年。現在も活躍する京杭大運河を、ある家族の船でめぐる。

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中国の大運河を行く

隋の時代に初めて運河が築かれてから約1400年。現在も活躍する京杭大運河を、ある家族の船でめぐる。

文=イアン・ジョンソン/写真=マイケル・ヤマシタ

 中国の首都・北京と、経済成長著しい都市・杭州。その距離1800キロを結ぶ運河がある。京杭(ジンハン)大運河だ。だがその北半分は、40年近く前から水位が下がり、船は航行できなくなった。現在、商業の動脈として主に機能しているのは、華北の都市、山東省済寧から長江 (揚子江)までの520キロほどの区間だけだ。

 この大運河を最初に築いたのは隋の煬帝である。中国の歴史家は、彼の行為を「狂気の偉業」と表現する。中国の主要な河川は、西から東へと流れているが、煬帝はこの地理的な制約を打ち破ろうとした。長江流域の肥沃な土地から北西に向けて米を運び、廷臣や兵士たちを養う必要があったのだ。

 宮廷の役人たちは、大運河の最初の区間を建設するため、農民を中心に男女を問わず推計100万人を動員。人々は休みなく働かされた。隋の公式記録によると、工事は紀元605年にわずか171日で完了したとされている。だが実際には、完成までに6年を要し、飢餓などで数えきれないほどの人命が奪われた。

 大運河は政治的に重要なシンボルであり、文化の伝達路でもあった。運河の水位を調整する閘門(こうもん)や堤防の視察に訪れた歴代の皇帝は、地方の暮らしぶりに目を留め、さまざまな文物を都に持ち帰った。

 現在、北京を代表する二つの文化は、こうしてもたらされたと言われている。山東省由来の北京ダックと、安徽省と湖北省発祥の京劇だ。京劇の役者たちは船で大運河をめぐり、旅回りの合間に各地の波止場で祈りを捧げた。詩人たちもまた、大運河に心動かされた。8世紀の詩人、張継は「楓橋夜泊」という有名な詩でこう詠っている。「夜半の鐘声 客船に到る」

大運河の船上に暮らす人々「船民」

 現在、大運河で生きる人々は「船民」と呼ばれる。彼らが暮らしているのは、建造費およそ1000万円の荷船の上だ。大抵は家族が一緒に船で生活し、朝から晩まで船を動かす。夜になると、数隻の船を横づけして船体を固定し合う。

 船民はめったに自分を甘やかしたりしない。現実主義で、常に計算しながら生きている。私がそれを痛感したのは、出航初日の晩。朱思雷と同郷の鄭成芳の船を訪ね、二人で朱思雷の船を眺めていた時だった。夕日に輝くその姿を見て、「素敵な光景ですね」と私が言うと、鄭はすかさず否定した。「いやいや、あんたはわかってない。素敵かどうかなんて、どうでもいいんだ。わしら船民には船が必要だ。船がなければ生きていけないんだからね」

 朱思雷の船に戻ると、鄭もたばこを吸いにやって来た。「わしらのことを書くつもりなら、ほかにも知っておくべきことがある」と彼は言った。
「船民は受け身の立場だってことだ。石炭の所有者が運賃を決め、金貸しが借金の利率を決め、役人が手数料を決める。わしらにできるのは、ただうなずいて働き続けることだけさ」

※ナショナル ジオグラフィック5月号から一部抜粋したものです。

編集者から

 皆さん、北京ダックはお好きですか? 現在、北京料理の代表格となっているこの北京ダックは、実は山東省由来だそうです。その昔、大運河を通じて北京にもたらされました。また、伝統芸能の京劇も、同じく大運河を渡って北京にやってきました。こうしたことからも、大運河の果たしてきた役割がいかに大きかったがわかります。(編集M.N)

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