第13回 パタゴニア追想記 その(1)

 さてぼくの砲艦の航海は5日目にケープホーンのあたりに着いた。そこから先は吠える40度線「ドレーク海峡」である。

 砲艦リエンテール号はホーン岬の内側のような荒波と烈風のさえぎられる場所に停泊し、ゾディアックが下ろされた。いまだ行き先を知らされていない我々は、うながされるままこのゾディアックに乗った。水兵10人あまりとともに2艘のゾディアックが目指したところはケープホーンのさらに裏側あたりだった。

 小さな岬をまわって岩の重なるところで最初に目にしたのは、想像もしなかった逆U字型の小さなアーチとそこに書かれている「ようこそケープホーンへ」という文字であった。なんだか頭が混乱し、なんだこれはどうなっているのだ?  とそれこそ!? マークを頭の上にいくつも並べながら、いかにも使い慣れたらしい平らな岩の「舟つき場」のようなところに上陸した。

 アーチをくぐると、ナンキョクブナらしい太い木で段々にしたかなり急な階段があり、そこを登っていく。50メートルぐらいの高さだったろうか。ひたすら登っていくと、階段の先に人の姿が見えた。

 ケープホーンといったら「魔のドレーク海峡」を見下ろし、これまで何世紀にもわたって太平洋側から大西洋側へ、あるいはその反対ルートで岬を回ろうとした夥しい船を眺め、かなりの率で波と風に翻弄されて沈没していった風景をじっと見つめていた無人の岬、とばかり思っていた我々はいわゆるキツネにつままれたような気分になった。

 そこが本当にケープホーンなのか、と疑う気持ちもにわかに大きくなった。

 この体験については『パタゴニア』という自著に書いたことがあるが、その後どのような本にもこのことは出てこない。おそらくもうその現場はないだろうと思うので、改めて、今は貴重と思われるそこで見てきたことを書いていきたい。

つづく

椎名誠(しいな まこと)

1944年、東京生まれ。作家。『本の雑誌』初代編集長、写真家、映画監督としても活躍。『犬の系譜』で吉川英治文学新人賞、『アド・バード』で日本SF大賞を受賞。近著の『わしらは怪しい雑魚釣り隊 エピソード3 マグロなんかが釣れちゃった篇』(マガジン・マガジン)、『そらをみてますないてます』(文藝春秋)、『足のカカトをかじるイヌ』(本の雑誌社)、『どーしてこんなにうまいんだあ!』(マキノ出版)、『ガス燈酒場によろしく』(文藝春秋)ほか、著書多数。公式インターネットミュージアム「椎名誠 旅する文学館」はhttp://www.shiina-tabi-bungakukan.com/