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 進学したのは、神奈川県立三崎水産高校。今の神奈川県立海洋科学高校である。
 二期上の先輩に、しんかい6500のもう一人の司令・櫻井利明さんがいる。

「エンジンの勉強をして、卒業後、専攻科(大学における大学院のような存在)に2年間行きました。その頃いろいろあって、船は厳しいかなと思っていたときに、しんかい2000の整備士の募集がありまして、それで就職したんです。昭和58年です」

 つまり1983年。しんかい2000完成の、2年後だ。

 あの、その頃いろいろあって、とは、どんないろいろですか?

「それはね、要はね、彼女に振られましてね」

 おお、なんということでしょう。

潜りたくなかった


「3カ月の航海から帰ってきたら、ほかに、男がいたと(笑)。よくある話です。まあ、船に乗っている3カ月間は、こちらは何も変わらないわけです。でも、陸上ではその間にいろいろなことがある。と思えるようになれたのは、10年くらい経ってからですよ(笑)」

 そして、整備の仕事を始め、5年ほどして「潜らないか」と言われた。

「当時は、パイロットと整備と航法管制がわかれていましたが、パイロットは4人しかいなかった。人は簡単に増やせないので、それぞれ、みんなでやろうという話になったんです」

 打診されて、どうでしたか。

「潜りたくなかったですよ。怖いでしょう。潜っている人のことは、ちょっと変だと思っていましたから」

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