私が伝統的部族社会から学んだこと

教授:最初から身近なテーマを意図していたわけではありません。実をいうと、最初は50年にわたるニューギニアでの経験をつづった自叙伝を考えていました。自分自身が生きていくなかで学んだことがたくさんありましたので。

 ところが、アメリカ人の編集者から「ジャレド、あなたの読者はちっぽけな自叙伝なんか期待していませんよ。もっと世界中についての大著に慣れているんだから、ニューギニアの自分についてじゃなくて、世界についての本を書いてください」と言われ、世界の39の伝統的社会のデータを使いつつ、物語としては私がニューギニアで体験した話という形になったわけです。

大塚:新作を読みすすむうちに、私は小学生の頃に見ていたドキュメンタリー番組を思い出しました。日曜日の夜に毎週やっていた『すばらしい世界旅行』という番組で、文化人類学的な色彩が強く、ニューギニアやアマゾン流域の先住民たちの暮らしを紹介していたんです。その番組を見て、子どもながらに不思議な感覚を抱いたことを覚えています。自分たちにはテレビや新幹線があって、工業化された社会に住んでいる。けれど一方では、彼らのような危険に満ちた不安定な生活をしている人たちがいます。つまり、自分が生きているこの時代には“進んだ世界”と“遅れた世界”という「まったく異なる2つの社会」が同時に存在しているという印象を子どもながらに持ったわけですが、『昨日までの世界』では「昨日までの世界は我々とともにある」とお書きになられています。教授は2つの世界がどのような関係にあるとお考えですか。

教授:先ほども言ったように、ニューギニアやアマゾンの社会と人々には、私たちとは違うところもありますし、よく似ている部分もあります。

 ぱっと見て明らかに違うところを挙げれば、石器を使い、ついこの前まで部族間の戦争があって、裸同然で、文字はありません。彼らはいわゆる「原始的な(primitive)」人々です。政治的には適切でない(politically incorrect)表現ですが、でも、実際のところ技術的には原始的です。

 最初は私も彼らが私たちとはまったく違うのではと想像していました。もしかしたら彼らは超能力のように心が読めるかもしれない。そして、数週間もすれば私も読心術を学べるかもしれないと思いましたが、もちろんそんなことはありませんでした(笑)。確かに外見は違っていても、彼らは私たちによく似ていました。それでもニューギニア人が同じ人間であるとわかるのに1日2日要しましたけれど。

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