私が伝統的部族社会から学んだこと

大塚:『銃・病原菌・鉄』で格差の問題を取り上げたのも、ニューギニア人からの素朴な質問が発端でした。教授にとってニューギニアはすごく大きな意味があると思います。とはいえ、研究の素養はその前から培われていたと察します。ニューギニアへ行かれる以前に影響を受けた人や本などがあれば教えていただけますでしょうか。

教授:私はアメリカのボストンで育ちました。両親はアウトドアが好きではなく、都会の人間でした。両親はキャンプをしたことはありません。私はいわゆる過保護な人生を送っていましたけれど、アウトドアやキャンプの本は興味があって読んでいました。

 大学生のとき、アウトドアや野鳥に詳しいバージニア州出身の同級生がいて、彼とバードウォッチングに行きました。それから彼とキャンプへ行き始めます。彼と私はよく一緒に出かけました。2人ともボストンで「ポストドクター(博士研究員)」になり、熱帯に興味がありました。熱帯のことは人づてによく聞いていたものの、2人ともまだ行ったことはありませんでした。

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 私たちは26歳の独身の若者でしたし、いつでも冒険に出ることができました。そこで、ペルーでひと夏を過ごし、アンデスの山に登ってから、アマゾンの盆地に下る研究プロジェクトを立ち上げます。

 実際にアマゾンのジャングルへ行ってみると、ヘビをつかまえて、鳥を眺める以外にやることはありません(笑)。私は当時、交流が始まったばかりの先住民に紹介してもらい、鳥を見ながら1週間ほど暮らし、鳥についての論文を書きました。そして翌年、「よし、次は行ける限りワイルドで冒険的なところへ行こう」と私たちは決めました。となると、行き先は明らかにニューギニアです。まだ石器時代のような暮らしをする人々がたくさんいましたからね。

 私の父はハーバードの教授で、1928年から1930年までの2年間、ニューギニアでフィールドワークを行った進化生物学の大御所であるエルンスト・マイヤーと共同で研究していたので、私にはアドバンテージもありました。マイヤーは私と友人にニューギニアで鳥の研究をするよう直々にアドバイスをくれました。おまけに、医者でもあった父が、当時としては珍しくニューギニアの多くの部族と接触していた内科医を指導したことがあり、その内科医もニューギニアですべきこと、人々の名前や、どこへ行って、誰に手紙を書くべきかなどを教えてくれました。つまり、ニューギニアへ行くお膳立てもあったということです。

大塚:なるほど。新作の話に戻りましょう。もうひとつ大きな特徴として、世界史や地理などを大きなスケールで論じたこれまでの著書と比較すると、子育てや高齢者、健康など、今回は私たちの生活に近いテーマを選ばれた印象を持ちました。それはなぜでしょうか。

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