30代はオーストラリアで研究生活を送った。「大陸横断とか、よくバイクで暴走していました」(写真クリックで拡大)

 カンドール氏と阪口さんは、1990年代後半に、オーストラリアで出会う。例の、独立法人化する研究所CSIROでだ。その研究所が、カンドール氏を1年間招聘したのだ。

「僕が大学生の頃にすでにアメリカの大学の教授だった人なので、研究者としては天と地ほどの差があるんですが、こちらの手の内はすべて見せて、こういうことをしたいんだとずっと話していました。すると、『いつかお前は、俺を抜けるかも知れないな』と言ってくれた」

 おお、すごい。すごいですね!

「まあ、たぶん嘘だったんでしょう(笑)。外国人はお世辞が上手いですから。でも、それは励みになった。僕も図に乗って、一生懸命やりました」

2桁上をいくソフト


 カンドール氏は、大規模シミュレーションには興味を持っていなかった。ならばそこをやろうと阪口さんは考えた。
 この頃、カンドール氏から阪口さんは「粒々そのものも大事だけれど、コンピューターの中身をよく理解することも必要だ」と指導されている。

「確かに、この人に追いついて、それから追い抜くには、まずはこの人のレベルまで勉強しないとならないと思いました」

 そうしてコンピューターについても学んだことで、結果として、ほかよりも優れたソフトを作ることができた。

「その当時、意外と気付いていなかったメモリーの使われ方に着目して、とにかく無駄に使わないように工夫しました。それで、20年前のパソコンだと他のソフトでは1万粒子くらいしか扱えなかったのが、僕の方法では100万粒子扱えるようになっていました」

 扱える粒の数は多ければ多いほど、シミュレーションの精度が高まり、現実に近くなる。
 2桁違えば結果はかなり違う。

 でも、ですよ。優れたものが必ずしも売れるとは限りませんよね。
 営業活動は、どのように?

「それも、カンドールなんですよ」

ピーター・カンドール氏(右側)(写真クリックで拡大)
オーストラリア時代の阪口さん。(写真クリックで拡大)

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