その男は、2000年11月に行われた「しんかい2000」による小笠原弧水曜海山フィールドの調査で船室のルームメイトだった熊谷英憲さんだった。その航海は、かつてない大荒れの海況で、ボクと熊谷さんは、船酔いで死んでいた調査船「なつしま」のザコ部屋の窓が大波に打ち付けられて吹っ飛び、海水がドバーっと浸水してくるという「なつしま沈没未遂事件」をナマ体験した仲だった。

ソファーで今にも吐きそうにぶっ倒れていたボクの身体の上を、大量の海水が美しいアーチをかけて浸水してきた時、そこには燦然と輝く虹まで見えた!と後世にまで伝えられている。

それはさておき、熊谷さんはその時、アメリカウッズホール海洋研究所への留学から帰ってきたばかりで、久しぶりの再会だったのだが、インド洋かいれいフィールドでの超マフィック岩探しには、かなり興味を持ったようだった。

それに熊谷さんとは、「なつしま」のザコ部屋で、熱水の地質学背景と微生物生態系の関わりについて、随分熱く議論して、「地球科学研究者の中では珍しく、すごく広い視野を持ち、生物学に対する理解度が深い学際的な男よ、そらそうよ」という印象を持っていた。

「この男!使える!」

今一歩、沖野さんにウサン臭いと思われているボクではなくて、昔からインド洋の海嶺系の研究に携わってきて、あまり男汁臭のしない(あくまで当社比)熊谷さんなら、「インド洋かいれいフィールドでの超マフィック岩探し」をうまくリードしてくれるに違いない。そう思ったボクは、熊谷さんの人の良さにつけ込んで、「これからの地球科学は分野横断が鍵よ!そういうもんやろ!」と有無も言わせず、ソッコーで共同研究の話を決めてしまったんだ。

朴訥な雰囲気を纏いながらも、JAMSTECの策士=隠し球の名手元木の再来と言われている(嘘です。言われてません)熊谷さんも冷静に、「それもアリよ。くわっ」と思ったかどうかは知らないが、その計画に賛同してくれたんだ。


次回、「人類究極の研究テーマに挑むための作戦会議」につづく

高井 研

高井 研(たかい けん)

1969年京都府生まれ。京都大学農学部の水産学科で微生物の研究を始め、1997年に海洋研究開発機構(JAMSTEC)の研究者に。現在は、同機構、深海・地殻内生物圏研究プログラムのディレクターおよび、プレカンブリアンエコシステムラボラトリーユニットリーダー。2012年9月よりJAXA宇宙科学研究所客員教授を兼任。著書に『生命はなぜ生まれたのか――地球生物の起源の謎に迫る』(幻冬舎新書)など。本誌2011年2月号「人物ファイル」にも登場した。

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