File2 科学探偵 大河内直彦

第3回 歴史も宇宙も脳も、測る!

1億分の1グラムの試料から数々の秘密を解き明かす“科学探偵”大河内直彦さんの第3回。その解析技術は生物や気候だけでなく、歴史や宇宙、脳の働きまで、とにかくいろいろ明らかにしつつあるのです。

(写真:田中良知)
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 大河内さんが研究者としてのキャリアを歩み始めたのは、東京大学大学院生の時だ。

「5年間、当時東京の中野にあった海洋研究所にいました。しょっちゅう“奴隷船”に乗せられていましたね」

 ちょっとたとえが穏やかでないが、つまり、お手伝いが中心で、自分の研究のサンプル取得のために船に乗っていたというわけではないということ。

 どのあたりの海へ行っていたんですか?

「いやもう、よくわかんないとこへ連れて行かれて」

大学院“奴隷船”時代の大河内さん。アメリカ・テキサス州の川をじゃばじゃば歩いて、「津波堆積物」とされる試料を掘り起こしているところ。(提供:大河内直彦)
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 記憶が曖昧なのも致し方ない。大河内さんは、船が大の苦手なのだ。
 中高大と10年間、ハンドボールで鍛えた体も、海の上ではパワーを失う。

「甲板はまだいいけど、部屋に入って振り回されるとダメ。甲板にいるときだって、しょっちゅう船べりに行っては吐いていました。ハンドボールをしていたことが役に立ったのは、『サイエンスもハート』とわかったことくらい。スポーツでも、強いチームは、競ったときに憎らしいくらい絶対に負けない。そういう気持ちの部分だけです」

 気持ちでは船酔いは克服できない。

「船の上で顕微鏡を覗くなんて、もう、もってのほか。それで、海はやめようかなと思って、海洋研でなく、生態研ならいいかなと」

 博士課程を終え、故郷である京都へと戻り、京都大学生態研究センターで研究員となる。教授に和田英太郎氏がいた。

「化学的に生物学を見る第一人者。アミノ酸中の窒素の同位体を調べることで、食物連鎖を明らかにできるという話は、この頃に聞いていました」

 その後、北海道大学低温科学研究所に助手として勤務。

「ただ、ここも部署名に“海洋”が付いていて、『イヤやな』と。『乗るか』と言われても断って、できるだけ船に乗らなくていいようにしていました」